柏原芳恵さんが愛車遍歴を披露!!! 即完売した超人気日産車やベンツの豪華オープンカーなどとの思い出に迫る
思い出深いSL
こうした紆余曲折がありながら、柏原さんのクルマと運転への情熱が事務所を動かし、高速道路でも安全なクルマへ乗り換えることが決まったという。そこで日産Be-1の次に選ばれたのが、メルセデス・ベンツ「190E」だった。 現代の「Cクラス」の祖先にあたるこのクルマは、当時のメルセデス・ベンツで最もコンパクトなモデル。1982年にデビューして、1993年まで生産された。サイズこそ小さいけれど安全性能や運動性能に妥協がない点や、ブルーノ・サッコが手がけたクリーンなスタイリングなどが人気を集め、現在でも中古車を探している人が多い人気車種だ。 「事務所としては安全を第一に考えて190Eに乗せたかったようです。でも、本当は黒が欲しかったのに紺のボディカラーだったし、やっぱりスポーツカーに憧れがあったので、割と早いタイミングでメルセデスの『500SL』に乗り換えることになりました」 柏原さんがお乗りになったSLは、「R129」というコードネームの4代目で、排気量5.0リッターのV型8気筒エンジンを搭載するモデルだった。 「ところがバブル景気もあってか、当時の日本ではSLが見つからなかったんですね。嘘か本当かはわかりませんが、ヤナセの社長さんも何年か納車待ちになっているという噂が流れたり……。そこで、アメリカから黒い500SLを輸入したんです。あのクルマはすごく気に入りました。停まっている時に電動でソフトトップを開けると、トランスフォーマーじゃないけれど変身するじゃないですか。注目を浴びましたね」 当時も今も変わらないルールで、柏原さんは仕事の現場へ入る時には絶対にハンドルを握らないという。「仕事に集中したいから」というのがその理由であるけれど、500SLに乗っていた当時、どうしてもご自身でハンドルを握って現場に入らなければいけないことがあったという。 「スケジュールの都合で、マネージャーとふたりで、私がSLを運転してロケに行かなければいけない日があったんです。帰り道、案の定、ふたりで道に迷ってしまって、そうしたら後ろから付いてくるクルマがあったんです。赤信号で止まると男性が降りてきて、怖いから青信号になった瞬間にダッシュして逃げました。ロケ地はちょっと郊外で、人通りが少なかったんですね。とうとう、赤信号で追いつかれて、男性が窓をコンコンと叩いて、キャーッとなったら、『芳恵ちゃん、気をつけてね』って(笑)。そういうことはちょいちょいありました。そんなある日『芳恵ちゃん、運転好きだよね、世界的なラリーがあるから出てみない?』という話が舞い込んできたんです」 後編となる次回は、柏原さんがオーストラリアンサファリラリーなどのモータースポーツに参戦したことや、フェラーリ「360スパイダー」を筆頭とする、現在までの愛車について振り返っていただく。
プロフィール:柏原芳恵(かしわばらよしえ)
大阪市出身。1980年デビュー。1981年「ハロー・グッバイ」が大ヒット、日本レコード大賞でのゴールデン・アイドル賞など数々の賞を獲得。その後も1983年の「春なのに」をはじめ多数のヒットを記録し、紅白歌合戦2度出場、日本レコード大賞7年連続選出。俳優、ラジオ・パーソナリティなどマルチに活躍し、2020年に40周年を迎え、現在も精力的に活躍中。現在、J:COMテレビの『柏原芳恵の喫茶☆歌謡界』(毎週土曜日22:00~22:30)に、出演中。 文・サトータケシ 写真・安井宏充(Weekend.) ヘア&メイク・冨沢ノボル スタイリング・間山雄紀(M0) 編集・稲垣邦康(GQ)