木村多江さんが10年苦しんだ【死別の悲しみ】…「子育てにも影響があった」|美ST
父のように早く死ぬかもしれない。 そんな思いで子どもには2歳から料理をさせた
子どもを産んだのは36歳のとき。赤ちゃんのときは「私が自分で全部やらなきゃいけない」と思っていたんですが、あるとき、私一人でできることなんて何もないと気づいたんです。 子どもが0歳なら私もお母さんとしては0歳。 初心者だったら頼ればいいんだと思って(笑)。それに私は忙しいとテンパってしまうタイプなので、とても仕事と子育てを両立できるような状態じゃありませんでした。お隣さんや近所の方、商店街の方、友人、ママ友、みんなに素直に「助けて」と声をかけさせてもらって支えていただきました。 急に自分の歯が痛くなったときには商店街の和菓子屋さんに「歯医者さんに行ってくるのでちょっと子どもを見ててください」とお願いしたり。皆さん快く面倒を見てくださって、おかげさまで子どもはものすごくフレンドリーな、コミュニケーション能力が高い人になりました。
子育てで気をつけたのは、まず物を与えすぎないこと。能動的な人間になってほしいと考えていたからです。 親戚にも「あげるのは本だけでお願いします」と伝えました。だからまだ小さいときに「お買い物ごっこがやりたい」と言う子どもに「レジスターや買うもの、お弁当は全部自分で作ろうね」って言っていましたね。 そのせいかはわからないですけれど、成長した今では自分で起業して自分で稼ぎたいと言っています。 子育てでもう一点心がけたのは早く自立を促すこと。父が早く亡くなったので私も早く死んでしまうかも、そうなったときにこの子は1人で生きていかなきゃいけないかもしれない。そう思うといかに自立して生き残っていけるかが大事です。 例えば2歳ぐらいから調理器具を持たせてお料理をさせたり。いかにサバイバル能力をつけるかというのは子育ての中でいつも考えています。 私がそばにいるうちはいろいろと言ってあげることができる。言えなくなる日が来る可能性があると思ったら今言えることは全部伝えておきたい。とは言っても私は頼りない母なので、反面教師として自立心が加速してるのかもしれません(笑)。