朝ドラ『虎に翼』が描く“性別適合手術”は史実に基づく? 1950年代に手術を受けた永井明子さんとは?
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では第21週「貞女は二夫に見えず?」が放送中。「永遠を誓わない愛」を試していた寅子(演:伊藤沙莉)と星 航一(演:岡田将生)の再婚問題と並行して描かれるのが、轟 太一(演:戸塚純貴)と遠藤時雄(演:和田正人)の同性愛だ。令和でも解決には至っていない夫婦別姓や同性愛に切り込む内容だが、8月21日放送回では「性転換手術を受けた」という人物が登場した。果たして、史実ではどうだったのだろうか? ■日本初の性別適合手術はいつ? まず本稿では、『虎に翼』作中で「性転換手術」と表現された内容について、日本GI(性別不合)学会や日本精神神経学会が正式名称と位置付ける「性別適合手術」という名称に統一させていただく。 8月21日の放送回で、轟の知人として上野でバーを営む山田(演:中村中)という女性が登場したそして自己紹介の際に「私は男の体で生まれたけど、女の体になるよう性転換の手術を受けました」と口にしたのである。 日本で初めて性別適合手術を受けた人物は、一体誰なのだろうか。その手がかりが、2018年に行われた中央大学×LLAN連続講座「LGBTをめぐる法と社会-過去、現在、未来をつなぐ」の資料として公開されている、三橋順子さん(当時明治大学非常勤講師)の「LGBTと法律 性別の変更について考える」にあった。資料では、1950~1951年に性別適合手術を受けた永井明子さんの事例が紹介されている。 永井さんは大正13年(1924)、東京都葛飾区に男性として誕生した。出生時の名前は「明」だ。その後、聖路加病院(現在の聖路加国際病院)に雑役夫(細々とした雑務を行う職)として働いていたという。その頃、自身が同性である男性に対して恋愛感情を抱いていることを理由に、「女性になること」を決意したということだ。 手術は昭和25年(1950)8月から翌昭和26年(1951)2月にかけて行われた。まず上野にあった竹内外科で、その後日本医科大学付属病院で行われ、2回目の執刀は日本医科大学産婦人科教室の石川正臣教授が務めている。 永井さんは2回に分けて精巣と陰茎の除去手術と造膣手術を受けた。その後、また別の病院で乳房の豊胸手術を受けているという。第1報となった『日本観光新聞』(1953年9月4日号・9月18日号)によると、手術完了時点で27歳だったそうだ。 手術を受けた後、永井さんは昭和29年(1954)11月までの間に、「明」という男性名から「明子」へ改名し、戸籍上も「参男」から「二女」へ訂正を申請している。三橋さんは資料で「おそらく、戸籍法113条による訂正と思われる」としている。戸籍法第113条には、「戸籍の記載が法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若しくは遺漏があることを発見した場合には、利害関係人は、家庭裁判所の許可を得て、戸籍の訂正を申請することができる」と定められている。この時点では、これに基づいて家庭裁判所に申し立てができたと考えられている。 作中に登場する山田という人物がこの永井さんをモデルにしたかどうかは明らかにされていないが、こうした事例が戦後10年に満たない段階であったということは興味深い。 <参考> ■三橋順子「LGBTと法律 性別の変更について考える」(2018) 中央大学×LLAN連続講座「LGBTをめぐる法と社会-過去、現在、未来をつなぐ」(第3回)より
歴史人編集部