<#わたしの新庄・3回目のセンバツへ>支える人たち/37 OB会長 上村幸吉さん(65) /広島
◇つらさの先に成功が 北広島町の広島新庄校舎から徒歩25分。山中にある野球部のグラウンドは、夜間照明やバッティングゲージを備える。「こうした練習環境が当たり前にある大切さを知ってほしい」。山を切り開いただけの荒野だった50年前を振り返った。 1928年創部。日本が膨張主義にかじを切るさなかに一時休部し、太平洋戦争の終結を経て47年に活動を再開したが、経済的な理由で翌年には軟式に転向した。硬式に復帰したのは自身が高校2年だった72年のことだ。 グラウンドの建設は71年秋に始まり、3年の夏を前にどうにか練習できるようになったが、なおも自ら整備作業に汗を流した。山を重機で切り開いただけで、転がった石を拾っては土をならし、稲の天日干しに使う棒でよれよれのネットを張って打撃練習に励んだ。卒業後も作業は後輩たちに引き継がれ、完成したのは76年だった。 「あの頃を思うと、最初から整備された環境で練習できるのは幸せだよ」。今やグラウンドには簡易ブルペンが整備され、この春には1階部分に監督室を備えた新しい観客席も完成する。保護者や住民が練習を見に来る機会も増えそうだ。 出場を決めていた昨春のセンバツは、新型コロナウイルスの影響で中止になった。一時は全体練習が制限され、夏の選手権大会も開かれなかった。「何かがあって当たり前のありがたさに気付かされる。つらい時もあるが、その先には今以上の成功が絶対にある」。野球が当たり前にできない中で甲子園出場を決めた選手たちなら、今大会でも最高の結果を残せる。そう信じている。【中島昭浩】