中野英雄、バイク遍歴も語る! そして、ジープやハマーなどを経た現愛車にも迫った
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第55回。後編では、俳優の中野英雄さんが乗り継いできたバイクにも迫る! 【写真を見る】中野英雄の愛車ヒストリー(17枚)
初めてのバイクは16歳
俳優の中野英雄さんの波乱万丈な俳優人生と、それに伴う愛車履歴について、前編で紹介した。 90年代の人気ドラマ『愛という名のもとに』で “チョロ”こと倉田篤役を演じブレイクした中野さんは、その後、数々のドラマや映画に出演するいっぽう、ローバー「ミニ」、フォルクスワーゲン「ゴルフ」、メルセデス・ベンツ「300TE」、「ゲレンデヴァーゲン(Gクラス)」と、愛車を乗り継いでいく。だが、とある出会いにより、その愛車選びに“転機”が訪れる。 ……と、その話をする前に、中野さんの愛する二輪車の履歴について触れておこう。バイクにまつわる出会いが、やがて中野さんのクルマ選びにも影響を与えていく。 「初めてのバイクは16歳のときに買ったスズキ『GS400』でした。見た目は好きだったけど、空冷ツインのドンドコドンドコと太鼓みたいな排気音はいまいちでしたね。マンガの『750(ナナハン)ライダー』が好きで、主人公の早川光が乗っていたホンダ『CB750』に憧れていたので、その次はホンダ『CB400フォア』に乗り換えました」 しかし中野さんいわく、決して健全なバイク少年ではなかったらしい。仲間とつるんで、追いかけたり追いかけられたり……ハイティーン・ブギなバイクライフを駆け抜けた後は、クルマに乗り始めたこともあり、バイクにはほとんど乗らなくなったという。
再びバイクに乗るようになったきっかけは大先輩の影響
中野さんがふたたびバイクに乗るようになったのは30代を迎えた頃、業界の大先輩の影響だった。 「あるVシネマ作品で岩城滉一さんと親分、子分を演じることになって。僕ら世代にとって岩城さんは憧れの存在。それをきっかけに親しくさせてもらうようになったら、“こんどバイクチームをつくる”っていう話があって、そこにどうしても入りたくてね」 岩城さんが結成した「フォーリング・ボーンズ」は、全員が大型二輪免許を持つバイク乗りで、俳優、タレント、元レーサーなど錚々たるメンバーが名を連ねるバイクチームだ。 当時、普通二輪(中型)免許しか持っていなかった中野さんは、チームに入るため大型二輪免許を取得、1500cc水平対向6気筒エンジンを積んだ大型バイク、ホンダ「ワルキューレ」を購入する。 「揃いのウェアやヘルメットで決めた大人の男たちが、でっかいバイクで走るんです。注目されるし、楽しかった。北海道とか九州とか、いろんなところにツーリングに行きましたね。岩城さんはいつもひとりでバーって走って行っちゃうんで、結局、現地集合でしたけど(笑)」 再びバイクの楽しさに目覚めた中野さん、30代後半になり「自分が本当に乗りたかったオートバイってなんだろう?」と、考えたという。「『750ライダー』や岩城滉一に憧れていた自分が乗るなら、やっぱり“ゼッツー”しかないよな」と。 “ゼッツー”ことカワサキ750RSは73年から78年にかけて製造、販売された。兄貴分の「Z1」は903cc空冷4気筒エンジンを積み、欧米で高い人気を博していたが、当時、日本国内では業界の自主規制により750cc超のバイクは販売できなかったため、排気量を750ccに落とした国内モデルとして登場したのだ。 カワサキ750RSはその型式名から「Z2(ゼッツー)」と呼ばれ、ホンダCB750とともに“ナナハン”の代名詞的存在となったが、その人気を決定的にしたのは、ほかならぬ岩城滉一だった。75年に公開された映画『爆発!暴走族』で、主役を演じた岩城と劇中で乗っていたZ2に憧れる若者が続出。全体を黒で統一するスタイルは「爆発ルック」と呼ばれZ2カスタムの定番となった。 「先輩が持っていたゼッツーを譲ってもらったんです。フルノーマル状態ですごくきれいだったから、先輩からは『変なイジり方はするなよ』と、釘をさされていました。僕はZ2の4本出しマフラー、丸いウィンカーやテールランプが好きだったから、カスタムするつもりはなかったけど、ブレーキだけはダブルディスクに換えましたね。ノーマルはシングルで、止まらないんです。先輩にはちゃんとお伺いを立てましたよ」 ナナハンとはいえ1500ccのワルキューレに比べればパワーもトルクも少ないZ2だが、「走らせるのはむしろゼッツーのほうが楽しかった」と、中野さん。信号で止まるたび、ショーウィンドウに映る自分の姿を見ては「オレはゼッツーに乗っているんだ」と、感慨深い思いだったという。