一代で巨富築いた大投機師、父の借金完済した“節倹9カ条” 諸戸清六(上)
借金返済まで「食量は6合に減ず」
三重県が編さんした「先賢遺芳」(大正4年刊)に諸戸の生涯が記されている。祖父清太夫の代までは大地主で「木曽川をのぼってくる塩を一手に引き受け、木曽川をくだる米穀を買い占めていた」というから豪勢であった。 しかし、父清郎が家産を蕩尽し急逝。清六は15歳で家督を相続するが、父が残した負債が「二千余金ニ及ビ、如何トスルモ能ハズ、親戚某ニ請ヒテ十両ノ貸与ヲ受ケ、始メテ米穀ヲ市ニヒサグ。他日、富、巨万ヲ累(かさ)ネ、盛名ヲ世ニ馳スルノ基礎、ココニ発ス」こととなる。 1863(文久3)年、17歳のことだが、清六は「処世要訣20カ条」を定め、10年で借金を返済することを決心する。ところが、実際には3年で完済できたという。「新版日本畸人伝」(白石実三著、昭和9年刊)から要訣を抜粋する。 1、従来、自分の食量は1日8合(1合=1.8デシリットル)なれど、借金返済までは6合に減ずること。 2、温かき飯は食うに手間取り、時間を空費す。冷や飯たるべき事、それも茶漬たるべき事。 3、昼食は必ず帳場で食すべき事。1口にて食し得べき握り飯を2個ずつ用意しておき、用の合い間に食すべき事。 4、字は仮名書きがよし。手紙、帳面、すべて人より早く書くべき事。 5、家の付近に竹木ぎれの類落ちておれば拾い集め、利用する事。 6、下駄、草履は3、4足ずつ家の各所の上がり口へ並べおき、いつ、どこでも上がり、下り、自由になせば、時間を省き得る事。 7、道を歩く時は後足を先へ、先へと歩くように練習すべし。人が1里を歩く間に1里半を歩くべき事。 8、買い出しの場合、夜行をしても相手の家へ早朝に着く事。早朝なれば、先方は必ず在宅なり。 9、遠出の際は小石多き道のみわらじで歩き、通常の道ははだしで歩く事。 諸戸はこの要訣を実行するとともに、相場界へ本格的に進出する。桑名は古来、米相場の盛んな町で、夕刻に相場が立つ。これを「桑名の夕市」と呼び、翌日の全国の米相場の先行指標として各方面から注目を集めた。 「かきがら老人」を名乗る蛎殻町の古老が米相場の町、桑名について書いている。「特に伊勢、伊勢の中でも桑名の如きは全市上げて相場をしない者はないくらいだから失敗しても、相場だといえばなんとも思わない。相場をする元資に家蔵を売り払い、大切な娘を売っても不思議にしないというありさまだから随分いい相場師を輩出しておる」(かきがら老人著「米界十年史」) 【連載】投資家の美学 <市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)>
■諸戸清六(1846-1906)の横顔 1846(弘化3)年、伊勢国桑名(三重県桑名市)に生まれる。父の残した借金返済に奮闘の末、米や株の相場師として成功。土地にも投資、1888(明治21)年には所有する土地の評価額が55万円に達し、山形県酒田の大地主本間家を抜く。山林の経営にも進出し、日本一の山持ちとなる。1906(明治39)年、日露戦争景気の最中に他界。4男が2代目清六を継ぐ。邸宅は有名な建築家ジョサイア・コンドルの設計による。大隈重信と親交があった。