一代で巨富築いた大投機師、父の借金完済した“節倹9カ条” 諸戸清六(上)
米や株の相場師として明治時代に一代で巨富をなした諸戸清六(もろと・せいろく)は、現在の三重県桑名市に生まれました。当時米相場で盛んだった町でした。諸戸は父の残した莫大な借金に奮闘した節倹の人でしたが、そのエピゾードは枚挙に暇がないといいます。諸戸はいかにして「2000金余」という借金を3年で完済したのか。時の大蔵大臣、大隈重信が語る諸戸とは――。市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 【画像】投機に明け暮れた青春時代 蛎殻町の米相場でスッテンテン 穴水要七(上) 3回連載「投資家の美学」諸戸清六編の1回目です。
「しまった、50銭」大隈が語る諸戸
明治時代の大投機師、諸戸清六はエピソードの塊のような人物である。大隈重信が諸戸邸を訪ねた時の思い出を語っている。 「わが輩はたっての勧誘に応じて、諸戸の伊勢(編注:現在の三重県)の居宅の客となった。邸宅はさながら城廓をなしているが、強盗を防ぐ方法として、見上げるばかりの高土塀の内側に濠を設け、それには河水をたたえて、木材が漬けてあり、養魚場にも充ててある」 養魚場の魚で毎月6回、奉公人にご馳走する。そして諸戸が着るものはすべて木綿で、それも流行遅れの品を見つけるとひとまとめにして、「さあ、いくらにする」と値切って買うのが常だった。大隈が忘れることのできない一件がある。 「諸戸はわが輩を迎えるために、座敷に岐阜ちょうちんをつらねて、火を入れてくれたが、それをつるす時、下女が誤ってローソクの火をちょうちんに移らせ、1つを燃やしてしまったら、諸戸は思わず声を出して『しまった、50銭』と叫んだのがおかしかった。この一語に諸戸の真価が流露している」(「大隈伯百話」) 明治財界の大御所、渋沢栄一が大相場師で銀行家の今村清之助を連れて諸戸を訪ねた時、三重の桑名といえば、魚介類の豊富なところで、どんな珍味にありつけるか、夕食を楽しみにしていた。ところが出てきたのが、ニンジン、ゴボウにイモの煮っころがし、とあって2人は顔を見合わせてあきれたという。