清水尋也×高杉真宙主演作で念願の監督デビューを果たす助監督出身・岩屋拓郎
先に主演キャストに依頼し、「映画企画公募」に応募
――その間、自身の監督デビュー作『オアシス』のようなオリジナル脚本を手掛けていたのですが? それが脚本といえるものか分かりませんが、三菱自動車に勤務していたときからアイデアをノートに書き溜めていました。それで映画業界に入って、3年ぐらい経ってからは、僕を拾ってくれた深津さんに脚本を読んでもらったり、アドバイスをもらって、公募やコンクールにも出していました。 そんななかで、好きだったタランティーノ監督の初期作の影響を受けて、「こんな夜明けじゃ青春は暮れない」という作品の脚本が生まれました。これが『オアシス』の原型となりました。 ――そして、製作会社GLASGOW15の「映画企画公募」に応募した「こんな夜明けじゃ青春は暮れない」は新人賞を受賞。この受賞より以前に、『ホットギミック ガールミーツボーイ』の現場で親しくなった清水尋也さんに出演交渉していたそうですね。 個人的に、助監督と役者の距離感がすごく近い現場に恵まれていたと思うんです。『ホットギミック』のときはサードの助監督だったのですが、現場の雰囲気を読むムードメイカーになりつつ、モノ作りの仲間の一人として接していくうちに、尋也と仲良くなりました。 それで撮影後にご飯を食べたり、ダーツしたりするうちに、「もし自分が監督デビューできるなら、尋也に主演してもらいたい」と思い、ダメ元で連絡して、脚本を読んでもらいました。「そんなこと言ってもらえて光栄だよ。やるよ」と、尋也が言ってくれたときは嬉しかったのですが、ここからが茨の道でした。 ――そこから、清水さん自身が旧友の高杉真宙さんを相手役として口説き、「映画企画公募」受賞、企画・脚本開発を経て、『オアシス』が完成しました。 先に尋也と高杉くんだけ出演依頼をし、そこからいろんな幸運とタイミングが重なり、5、6年越しの企画がなんとか完成しました。 地元で過ごしていたときの悶々とした思いだったり、助監督として学んだときの技術や人脈、今の僕にとっての集大成というか、僕ができる全てをこの映画に詰め込みました。だからこそ、地元の名古屋ロケには、かなりこだわりました。