世界を飛び回るサッカー国際主審の杉野杏紗さん「選手が私を忘れてプレーに集中してくれたらベストです」
2024年現在、サッカーの国際審判員の日本人は主審11人、副審13人と限られている。主審として登録されている日本人女性は4人のみ。その中の1人が、宮城県仙台市出身の杉野杏紗さん(34)だ。日本国内だけでなく、第一線で活躍して世界各国を飛び回る。選手経験を生かし、選手に寄り添ってコミュニケーションを取りながら、日々公正なジャッジに努めている。 (取材・構成=秋元 萌佳) 小学2年時からサッカーを始め、ノルディーア北海道など、なでしこチャレンジリーグでも活躍した杉野さん。16年に一度引退した後は「指導者としてサッカーに関わろう」と母校・聖和学園高で英語の教員をしながら、部活動の指導を行う中で、「指導者として持っておくべき資格の一つだった」と審判員の資格を取ったのが始まりだった。 スポーツ少年団のコーチをしていた父・孝夫さんの影響で、幼い頃から「審判員」という肩書きが身近にあったものの、選手時代の経験から「正直、いい印象は持っていなかったので、やるつもりはなかった」。翻意するきっかけは、17年に開催された南東北総体に審判員として参加したことだった。 初めて全国大会レベルの副審を務め、座学だけでなく実技の研修会を行うなど、舞台裏での入念な準備を目の当たりにした。「試合を成立させるためにこれだけの方が動いている。素直に格好いいなと思いました」と心を動かされた。「自分の選手時代を悔い改めましたね。指導者になりたかったはずなのに、ピンときたんです」と一気に審判の道へと歩みを進めることになった。 18年に2級審判員となると、本腰を入れて活動を始めた。「1級に上がるチャンスは今だと、宮城県協会や東北協会の方に応援していただいた」。高校総体など大きな大会で研さんを続けて、20年に1級審判員に昇格。国際主審を目指す「AFCレフェリーアカデミー」にも通い、コロナ禍で実地研修などが少ない中でも21年に国際審判員に登録された。今年5月に行われたU―17女子アジアカップなど海外での審判活動だけでなく、国内でWEリーグの主審も務め、忙しい日々を送る。 選手経験があるからこその心遣いもある。試合中、選手からもらう発言は「文句ではなく気持ち」と受け取り、声をかける時には背番号ではなく名前で呼んでいるという。選手に寄り添いながら活動を続ける。「私のことを名前で呼んでくれる選手もいて、『この人になら任せられる』と思ってくれたのならうれしい。自分が存在するのは試合のため、両チームのため。選手が私のことを忘れてプレーに集中してくれたらそれがベストです」と語る。 結婚して千葉在住となっても、登録は宮城県のままだ。「東北愛が強いんです。宮城にいたからこそステップアップできたし、みんなで頑張ろうというファミリー感が大好き。だから、育ててもらったこの場所に恩返しがしたい」。公平公正な判断と“東北魂”を胸に、ピッチに立ち続ける。 ◆杉野 杏紗(すぎの・あずさ)1990年7月5日、宮城県仙台市生まれ。34歳。小学2年時から芦の口SSSでサッカーを始め、八木山中ではサッカー部に所属しながら女子チームのビッキィ泉・仙台ユースでもプレー。聖和学園高から山形大を経て、13年にノルディーア北海道に加入。16年に一度引退も、同年途中から教員をしながら群馬FCホワイトスターに加入し、18年までプレー。20年に1級審判員に昇格。21年から国際審判員。
報知新聞社