台湾オルタナロックのアイコン・拍謝少年(Sorry Youth)が語る、情熱と未来の音楽
台湾のインディー音楽が海外でもファンを集められるレベルまで高まってきた
―音楽の話に戻しましょう。台湾は決して音楽市場の規模が大きくはない中で、Sorry Youthは2005年からインディーズバンドとして活動してきてなかなか苦労も多かったのではないかと思います。 ジャンジャン:別の仕事も当然掛け持ちでやっていましたね。2012年に1stアルバム、2017年に2ndアルバム『兄弟没夢不應該』と5年の間が空きましたが、その間はフルパートで働いて、夜はバンドの練習や計画を立てるという生活をしていました。2ndアルバムを発表した後の当時、台湾のインディー音楽市場も少しずつ発展してきたので、音楽一本で試してみようかとお互いに自然と話すようになって、自分たちでレーベルも立ち上げました。1、2年ほどでコロナ禍に見舞われたものの、どうにか生き残ることができたという感じです。 ―台湾のミュージシャン、特にインディーズは海外志向が強いと思っていて、それは台湾の音楽市場の小ささに起因するのかなと思っていました。日本は音楽市場について言うと、内需だけで十分な規模もあるので無理に海外を目指す必要はなくて。一方、台湾のバンドは海外市場を目標としているのかなと。 ウェニ:バンドによって異なる選択をしているかもしれません。他の台湾のバンドは海外現地の言葉、あるいは歌詞など言葉を使わないスタイルで国際市場にアプローチしていて、海外に進出する条件を満たしていると思います。でも、僕らはそういうわけではなくて。海外ツアーはしますけど台湾語を使っていて、台湾人に台湾のことを聴かせたいという思いもあるので、わざわざ作詞・作曲時に海外市場を意識して歌詞や曲を変えることはないんですよね。 ウェニ(提供元:海口味有限公司) ―その中でも、Sorry Youthは日本に多く来て活動していますよね。日本には何か思いがあるんでしょうか? ジャンジャン:日本はアジアの中で最も音楽ファンが多い国ですし、自分自身も邦ロックファンでもあるので、自分達自身の日本での可能性を試してみたいという思いもあるんです。市場という点で考えると、Sorry Youthは台湾内だけでもやっていける状態だと思いますが、台湾語はじめ台湾の要素を持って国際市場に挑戦してみたいという考えもありますね。 チュンハン:一方、特にアジア音楽シーンでは国を超えた交流が活発になっていて、日本、韓国、インドネシア、タイなんかからも多くのバンドが台湾に頻繁に来てライブをしています。台湾もまた原住民など多元的な文化を持つ場所ですので、様々な国の音楽を受け入れる土壌もあるわけです。原住民に至っては、自分たちの言語での音楽フェスも開催したりしています。今、この時代の文化を超えた音楽交流はより活発になっていて、欧米では大陸を跨ぐような音楽の往来は以前からあったと思いますが、アジアも同じような状況になっていますよね。 ジャンジャン:海外に出ていくという意味では、僕らがバンドをやってきた約20年間で台湾のインディー音楽業界が大きく成長してきたことも大きいと思います。インディー音楽はチケット販売の興行収入なんかもメジャー音楽に引けをとらないレベルになってきました。例えば、最近は周杰倫(中華圏で絶大な人気を誇るシンガー)のコンサートのKアリーナ横浜公演が開催されていましたが、お客さんの大部分は中国をはじめとする中華圏の人たちだったみたいです。でも、台湾のインディーバンドが日本でツアー公演を行うと、日本人のお客さんも多く来てくれます。「BiKN Shibuya」のように台湾を含むアジアのインディー音楽が集うフェスでも、日本の音楽ファンが集まってくれていますよね。そのように台湾のインディー音楽が海外でもファンを集められるレベルまで高まってきたことが大きいです。 ―たしかにここ数年の台湾インディー音楽の認知度・解像度は日本でも高まってきています。台湾音楽シーンや取り巻く環境が変化する中で、Sorry Youthがバンドとして変わっていないこともありますか? ジャンジャン:うーん、やはり変わってないのはメンバーですね。初めて組んだバンドでメンバーも変わっていない、初恋の相手と結婚したようなものです(笑)。普段からメンバー同士でよく話し合いをするんです。常にお互いやりたいことがあるので、アルバムもこれまで4枚リリースしてきましたけど、まだまだ新しいアイデアが生まれてくるんです。1stアルバムを出したときには、まさか4枚目まで出せるとは思いませんでしたし、台湾語で曲を書き続けられるとさえ思いませんでした。それも皆のやりたいことがどんどん出てくるからですよね。 ―普段からコミュニケーションをとれる、変わらない関係性も大事でしょうね。 ジャンジャン:僕らは今でもよくお酒を飲みながら一緒に過ごしているので、音楽のパートナーとしてだけでなく友人としての関係が下地にあるのが大きいですね。 チュンハン:最近台湾でもブラーのドキュメンタリー映画を見たのですが、彼らもメンバーは子供の頃から友達で、バンドデビュー後、計10年近くバンド活動休止を経てもまた再始動し、一緒にバンドとして演奏できているんですけど、僕らも同じようなものです。日本でもASIAN KUNG-FU GENERATIONなんかも学生時代の友人ですよね。Megaport Festivalの時にASIAN KUNG-FU GENERATIONのメンバーとご飯を食べましたが、彼らは音楽を通じた関係性だけでなく友人としても非常に親しい関係なんだと感じました。音楽だけでなく、互いの生活においても信頼し合っていることが非常に重要ですね。 ―20年もメンバーを変えずバンドを続けるなんて、誰でもできることではないでしょうね。これからもバンドを続ける上で、挑戦していきたいバンドの目標などはありますか? ジャンジャン:日本で言うと今回は東阪ツアーだったので、もっと地方で行われる音楽フェスやイベントにも出演してみたいですね。去年は「ITAMI GREEN JAM」でbetcover!!やTENDOUJIのステージを見たんですけど、迫力があってかっこよかったんです。そういう出会いもあるからSorry Youthもどんどん日本各地で開かれるイベントに参加したいですね。そして、彼らにも台湾にもライブに来てほしいです。 ウェニ:Sorry Youthは台湾では普段VJや照明など固定のチームがあるのですが、今回の日本ツアーではPAしか同行できなかったんです。いつかフルセットの固定チームを連れてくるので、また日本でも僕らのライブを見に来て一緒にライブで盛り上がれたらなと思っています。また日本に来れる日が待ち遠しいです。 <リリース情報> Sorry Youth拍謝少年 4thアルバム『Noise Apartment』 配信中 Sorry Youth拍謝少年公式HP
Kohei Ebina