【漫画】長崎に原爆が投下された日…当たり前の日常が突如として奪われる体験談に「涙がとまらない」の声続出
コミックの映像化や、ドラマのコミカライズなどが多い今、エンタメ好きとしてチェックしておきたいホットなマンガ情報をお届けする「ザテレビジョン マンガ部」。今回は、漫画家の魚乃目三太さんが描いた『長崎原爆と白いご飯』に注目しよう。 【漫画】長崎に原爆が投下された日、ひとりの青年は全てを見た…次々と語られる悲惨な事実に「言葉を失う」「一生忘れない」 同作は「ヤンチャンWeb」で連載されている、戦時中の“食エピソード”を描いた『戦争めし』の特別編であり、長崎に原爆に投下された際の体験談が描かれている。魚乃目さんのX(旧Twitter)にポストされると、8000を超える「いいね」を獲得。そこで魚乃目さんに『長崎原爆と白いご飯』を描いたきっかけについて話を伺った。 ■一瞬の後悔が現在も心に残り続けている… 昭和20年8月9日、体験談を語る深堀常時さんは15歳の中学3年生。当時は中学生の授業らしい授業はなく、三菱の兵器工場での奉仕活動が日常業務だった。 その日、当番の日ではないと勘違いしていた深堀さんは、いつもよりゆっくり布団に入っていたところ、友人が迎えにきたことで、家族に声もかけずに慌てて出かけてしまい、大切なお弁当を忘れてしまう。 そして、お昼が近くなってきた頃、お弁当を忘れたことに気づく深堀さん。空腹のなか、我慢してひたすら業務に集中していると、急に地震のような大きな揺れが起こる。深堀さんだけでなく、ほかの作業員も身動きが取れずにうずくまっていた。そして、窓の外に見えたのは、大きなきのこ雲だったのだ…。 深堀さんによる痛ましい体験談に、読者からは「原爆によって失われた方々のことは絶対に忘れません」「何度読んでも涙が止まらなくなる」「当時のことがリアルに伝わってきた」など、数多くの反響が寄せられている。 ■戦争経験者である老人の絵が誕生のきっかけ? ――そもそもの質問で恐縮ですが、シリーズとなった『戦争めし』を創作したきっかけや理由があればお教えください。 終戦記念日や報道番組の特別枠で老人の方が、残り少ない人生の中で悲惨な戦争体験を家族にも打ち明けず死んでいくのはどうか?と悩んだ末、文では書き残せないので、絵ならばと絵を描き始めたそうです。 その絵は拙く、上手とは言えません。僕はそんな絵の1枚に目を止めました。白骨街道をボロボロの服で逃げ帰る、その方の姿でした。そのボロボロの姿には、銃や武器を持たず、片手には飯盒が…。どうして、この兵士は飯盒を持って逃げたのだろうか?それから戦争を調べるきっかけになったのです。そして、戦争と食事をテーマに漫画を描こうと思いました。 ――『長崎原爆と白いご飯』描いたうえで「こだわった点」あるいは「ここに注目してほしい!」というポイントがあれば教えてください。 この話を聞いたのがもう4年前。深堀さんも90歳を越えていらっしゃいます。戦争の語り部の方々も世代交代をして、今では若い方に託されているようです。僕もそんな1人として お役に立てればと思い書いております。 ――同作は作中の語り部である深堀さんの言葉を忠実に再現しており、原爆の恐ろしさが強く伝わる内容ですが、魚乃目さんは深堀さんのお話を聞いた時、率直にどのような感想を抱いたでしょうか。 悲しいお話ですね。幼い兄弟が、自分の将来を心配してくれながら息を引き取った話を聞いたとき、胸がつまりました。 ――少し時期はズレてしまいましたが、今年で終戦から79年が経ちました。個人的に時間が経てば経つほど原爆投下の話が風化することを危惧しています。戦争で実際に起こった出来事を漫画として描いた魚乃目さんが原爆について思うことを、ぜひお聞かせください。 いろんな意見もあるでしょうが、ハリウッドやいろいろなジャンルの方が、今、原爆を描こうとしてらっしゃいます。本当にいいことだとおもいます!もう一度ちゃんと考えるきっかけになれば最高ですね。 ――作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします! いつも読んでくださってありがとうございます。お手紙やメッセージいつもいただき、励みになっております。なかなか忙しく、SNSで発信できませんが、これからもどうぞよろしくお願いいたします!頑張っていい漫画を描いていきます!