佐野勇斗“広海”の葛藤に涙…清原果耶とのエモすぎる”神シーン”とは? ドラマ『マイダイアリー』第5話考察レビュー
組織の色に染まれない人が社会で生きていくためには?
克弥は小説を書けなくなり、社会になじむしか生きる方法がないと判断したのだと思う。その結果、克弥は仕事だけではなく、妻と娘にも恵まれた。現在は生き方も家族の在り方も多様化しているものの、男性は家族をもって一人前という考え方が根付いていた時代もあった。妻子をもつ克弥について社会になじんでいると誰もが認めるはずだ。 私たちが生きている社会は優しくなんてないのかもしれない。多様性を謳ってはいるけれど、社会の色や所属している組織の色に染まれない人は変わり者として扱われる。 広海がかつて経験したように「あいつ変な奴」と指をさす大人はあまりいない。しかし、周囲から浮いていると一線を引かれたり、社会に調和できないことを叱責されたりする。 社会で生きることの厳しさは、広海と虎之介(望月歩)が配膳のアルバイトをするシーンに投影されている。広海は洗濯機の購入費を貯めるためにアルバイトをはじめたが、雇用先にはそんな事情は関係ない。職場では貢献してくれる人が求められるし、うまくこなせなければ継続はむずかしくなる。実際、虎ノ介と広海はアルバイト先で謝罪するしかなかったようだ。
自分の靴下の片方を誰かが持っている安心感
広海はかつての友人・克弥が自分とは違う世界にいることを知ったし、アルバイト先でも留学先の大学でもうまくいかなかった。しかし、彼には「おかえり」と言ってくれて、鍋を囲んで笑い合える仲間がいる。 自分を大切に思ってくれる仲間の中には、靴下の片方を持っていてくれる優希(清原果耶)がいる。広海は「消えた天才」というタイトルで自分が記事になること、この記事のタイトルをきっかけに自分はどこにいるのかと改めて疑問を抱くようになったと、彼女にだけは打ち明けた。さらに、誰かと靴下のようにふたつでひとつになることで、あの人たちは変だと他人を巻き添えにすることの不安を語った。 優希は「買いに行こうか 靴下」と広海を誘い、ふたりはコンビニで靴下を買い、優希の案で片方ずつ交換しあった。 「変かどうかは 誰かに決められるものじゃない 自分で決めるものだよ それに自分の靴下の片方を誰かが持ってるって思ったら なんか あるって実感 湧かない? 嫌なものに取り込まれそうになったときに こんな状況だけど そういえば 私の靴下の片方 今 あの人の家にあるんだよなって思ったら 自分 ちゃんと あるって気しない?」 広海は自分のせいで誰かを巻き込むことを恐れていたが、彼は優希という片方の靴下を持っていてくれる人に出会えた。 広海の巻き添えになることを迷惑だと思わないのは優希だけではない。虎ノ介はアルバイト先で広海の巻き添えになったわけだが、虎ノ介は彼のために職場で謝ったことではなく、広海に配膳のアルバイトを提案したために彼の心を傷つけた自分に対して嘆いていた。 利己的な人も存在するし、不器用な人にとって社会は生きづらいかもしれない。しかし、相手をいつくしみ、自分の不利益よりも相手の心を心配する人が存在するのも事実だ。 この世界で生きていくためにもっとも大切なこととは、「おかえり」と言ってくれる人たちの優しさに怯えないことなのだと思う。 本放送においても厳しい社会にひっそりとある優しい空間をのぞき見れたような気がする。 【著者プロフィール:西田梨紗】 アメリカ文学を研究。文学研究をきっかけに、連ドラや大河ドラマの考察記事を執筆している。社会派ドラマの考察が得意。物心ついた頃から天海祐希さんと黒木瞳さんのファン。
西田梨紗