野茂英雄がバースデー完封勝利を目前に緊急降板…メジャー1年目の夏に始まった“爪問題”「割れた原因ですか? それは、僕が投手だからです」
1995年8月31日、野茂英雄を追いかけロサンゼルスにやってきた記者が初めて見た先発・野茂の試合。誕生日に完封勝利かと思われた8回、野茂に思わぬアクシデントが訪れる。(第9回/初回から読む) 【秘蔵写真】「こんな笑い方をするんだ…」アメリカでニコニコとプレーする野茂の写真を見る
野茂がマウンドでバツ印のポーズ
「あそこが限界でした」 マウンドから、野茂が両手で作った「×」のサインをベンチに見せたのは、8回に1死を取った時だった。監督のトミー・ラソーダが巨体を揺らし、大慌てでマウンドへ走った。 フォークは、人差し指と中指で挟んだボールを「抜く」のが通常だが、野茂のフォークは右手の中指をボールの縫い目に引っ掛け、リリース時に回転をつけるという独特のもの。野茂が自ら、ギブアップを宣言した時、その右手中指の爪は、中央からやや左の部分から縦にすっと、ヒビが入ってしまったのだ。 野茂は緊急降板した。しかもリリーフ陣が9回、5点のリードを一気に吐き出して同点に追いつかれ、誕生日祝いとなるはずの11勝目も消えた。チームは9回裏にサヨナラ勝利を収めるのだが、ここから私の取材は、野茂の“爪問題”に翻弄されることになる。 野茂は、相変わらず中4日の調整中にはほとんど報道陣に喋らない。それでも、日本からは容赦なく、毎日のように「野茂」の原稿が要求される。
トレーナーが教えてくれた爪事情
「割れた原因ですか? それは、僕が投手だからです」 野茂の回答は、常にこんな感じでそっけない。こんな時に“救いの手”を差し伸べてくれたのが、トレーナーのパット・スクリーナーだった。割れた爪のケアの仕方を、懇切丁寧に解説してくれたのだ。 まず割れた爪にヤスリをかけ、その上にマニキュアを塗る。続いて爪の形に切った極薄のシルクをその上に張り、さらにマニキュアを塗り重ねるという“トリプル層方式”で、爪の保護と回復を図るのだという。
同僚・キャンディオッティの方法を参考に
当時、ドジャースにはナックルボーラーのトム・キャンディオッティが在籍していた。38歳のベテラン右腕はナックルの握りで指を立てるため、爪には負担がかかって割れやすいそうで、日頃からのケアが欠かせないのだという。 だからネイルサロンにも通い、そこで独自の“爪保護法”も学んできたのだという。野茂も、その“キャンディオッティ方式”で爪のケアを行ったというわけだ。 中4日で迎えた9月5日、ドジャースタジアムでのフィリーズ戦も5回85球で降板。右手中指の爪に入っていたヒビは、中央やや左、縦7ミリほどだったが、この日の登板の負担で、ヒビの“終点部分”をかすめるように、爪の付け根部分よりやや上の部分から横にもヒビが入ってしまった。 この日の3回には5つ目の三振を奪い、1966年にドン・サットンがマークした球団の新人奪三振記録の「209」を更新。それでも、フォークの落差を生み出す起動力でもある右手中指の爪に2カ所もヒビが入ってしまえば、続投は不可能だった。 地区優勝争いが激化する中、一体、野茂はどうなるのか――。
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