【訂正】『わかっていても』横浜流星に“沼る”理由 日本版の年齢設定が強調する“背徳感”
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう』の主演に抜擢され注目を浴びている横浜流星主演のABEMAオリジナルドラマ『わかっていても the shapes of love』は、Netflixの日本トップ10(テレビ部門12月9日~15日)で初登場1位を獲得した。その快挙のみならず、非英語部門でも10位にランクインするほどの盛り上がりを見せている。横浜演じる香坂漣に沼落ちする視聴者が続出しているのだ。 【写真】南沙良の“大人”な姿に期待 本作は韓国の漫画を原作にした韓国ドラマ『わかっていても』(Netflix)を原案に、舞台を日本の鎌倉に置き換え、「傷つくとわかっていても、愛に手を伸ばしてしまう人間の衝動」というテーマを追求する危ういラブストーリーである。 手痛い失恋を経験したことのある美羽(南沙良)だったが、わかっていても幸せにほど遠そうな香坂漣(横浜流星)との恋にのめりこんでいく。特定の恋人を作らない主義らしい芸術家・漣の魅力にハマって抜け出せなくなって……。漣の女性を陥落させるテクニックは、彼の芸術の才能と同じく、嫉妬が止まらないほど天才的。美羽はまるで彼の飼う蝶のように捕まって逃れられなくなってしまうのだ。 女性がハマって抜け出せなくなるほどの魅力を持った男性を「沼る男」といい、韓国版でも日本版でもこの「沼る男」の魅力が『わかっていても』の強力な求心力だ。 韓国版の沼る男はソン・ガン。『カノジョは嘘を愛しすぎてる』(2017年)、『恋するアプリ Love Alarm』(2019年)、『Sweet Home -俺と世界の絶望-』(2020年)などで見せる少女漫画のようなビジュアルや身振りが完璧すぎる俳優だが、日本版の横浜流星も負けていない。横浜にはまつげの天然カール具合など、奇跡の少女漫画的ビジュがある。ただ、映画『正体』などで変幻自在な演技力を発揮するだけあって、『わかっていても』の漣は知的でミステリアスな雰囲気で美羽を幻惑する。 韓国版のソン・ガン、日本版の横浜流星、ふたりが演じるヒロインの相手役の微妙な相違から、韓国と日本の価値観の違いが見えてくる、ような気がする。 日本版の漣は美羽の通う美術大学の先生である。一方、韓国版の漣にあたるパク・ジェオンはヒロイン・ユ・ナビのほうが大学の先輩(でも年齢は同年)で、この年齢や役割設定によって、物語における男女の関係性は変わる。韓国版はユ・ナビがパク・ジェオンと出会ったとき、彼と同じ年ながら学年はナビが先輩という優位性がある。ところがあっという間にパク・ジェオンが優位になり、ナビが振り回されていくところがおもしろい。一方、日本では漣は美羽の上司的立場にある人物であり、徹頭徹尾(まだ途中までしか配信されてないから今後はわからないが)、漣が優位なのである。美羽と漣が対等な関係には見えないという日本版の韓国版からの設定変更は極めて興味深い。この設定の違いによって、韓国版よりも漣が恋愛にガツガツして見えず、ミステリアスな面が強調されているように感じるのだ。 また、ヒロインが手痛い失恋をしたときの、自分がモデルにされた塑像のポーズの差の違いも興味深い。こちらは韓国版のほうが圧倒的に女性が肉体的に男性に屈服させられているように見え、日本版では女性が突き抜けきれない精神性を皮肉っているような雰囲気もあるのだ。両者とも「蝶」が重要なモチーフになっていて、蝶のような羽が登場人物の自立や解放の象徴であると推察できるが、日本版のほうが、精神性のほうに重きが置かれているようでもある。ふたつの塑像から、女性は何に最も傷つくのか、男性が何に芸術性を感じると思うのか、同じ原作からできたふたつのドラマの価値観の差を見せられたような気がするのだ。 この塑像をつくったヒロインの元・恋人は原作である漫画と韓国版ではヒロインの教師である。彼女を教え導く立場の優位性を利用してヒロインを弄ぶ。日本版では漣が教師になっているため、先述したように、終始ヒロインが漣を超えられない印象が強い。設定の変更は横浜流星と美羽役の南沙良との年齢的なものであろうか。生徒同士と講師と助手だと印象はかなり違って、後者のほうは背徳感が強くなる。「傷つくとわかっていても、愛に手を伸ばしてしまう人間の衝動」がいっそう濃密に感じられ効果は絶大である。あるいは、日本のコンプライアンス事情であろうか。韓国版ではジェオンとユ・ナビの出会いの初期、通りでタバコの火をつけようと近づく場面をはじめ、肉体的接触場面が濃密なのだが、日本はビジュアル表現がおとなしめで、その分、設定で濃密感を出そうとしているのかもしれない。監督の中川龍太郎やエグゼクティブ・プロデューサーの藤井道人がどこまで狙っているのか気になるところだ。