盗塁、走塁の意識の高さは、野球に深みをもたらします【大島康徳の負くっか魂!!】
盗塁は数より場面が大事
1987年日本シリーズ第6戦[西武]、西武の辻発彦が中前打で一塁から一気に生還したシーンは、走塁に対する高い意識が表れた代表的な場面でした[捕手・山倉]
今回は、本誌の特集に合わせて、盗塁、走塁に関する話をしたいと思います。僕にはあまりそういうイメージがない方もいるかもしれませんが、僕だって、若いときには一番を打ったこともありますし、少しは走っていたんですよ(笑)。ただ、四番、五番、六番あたりを打つようになると、年齢的なことも重なって、だんだん盗塁数は減ってくるんですけどね。 ただ盗塁というのは、単に数で評価すべきものではない、という面はあると思います。今では日本でも、大差がついた場面での盗塁はカウントされなくなったことでも分かりますが、場面によって、一つの盗塁の価値は違ってきますから。 現実的な場面の中では、一番価値があるのは、先週の話にも出ましたが、1点負けている最終回に二死一塁から決める盗塁でしょう。これができる選手が、ホントに盗塁、走塁のスペシャリストだと思います。これは一、三塁からの一塁走者の二盗とは、全然難しさが違いますよね。 ほかには、アウトカウントにもよりますが、例えば三盗の価値が、それぞれの場面でどれぐらいあるのか。確かに三塁に進めば、暴投やパスボール、アウトカウントによっては犠牲フライや内野ゴロでの得点チャンスは増えますが、ヒットでの得点を考えると、三盗ができる走者はだいたいワンヒットで二塁からかえれますから、あまり大きくチャンスを広げたことにはなりません。そのためにリスクを冒す価値があるか、というところで、日本ハムの西川(西川遥輝)なんかは、無理してやらない主義だったりもします。そういうことも含めて、盗塁に対する考え方が変わってきた面もあって、なかなかもう、昔の阪急の福本(福本豊)さんみたいに、シーズン100個走る選手は出てこないでしょうね。 福本さんまで行くと別ですが、昔の野球では、・・・
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週刊ベースボール