3代目が考案、家族を困惑させた「切腹最中」が1日4000個超売れる人気商品に
モニター結果はさんざんだったが結局、家族の反対を押し切って「切腹最中」を売り出した。今では何千、何万の人が、この商品名と味に魅かれて、日本中から買い求めにやって来る。渡辺さんの斬新なアイデアにようやく時代が追いついたということだろうか。
約30年で和菓子屋の数は1/3に
渡辺さんが新正堂を継いだ当初は、近隣の企業や結婚式場からのお菓子の注文が多かったという。しかし、やがて大きな製菓会社チェーン進出や通信販売が普及すると、売り上げは落ちる一方だった。 「当時、46軒の和菓子屋が近隣の組合に所属していましたが、後継者が見つからないという理由で廃業し、今では12軒しか残っていないんです」
3代目、渡辺さんは伝統を大切にしながらも、ときには変革を恐れずに「切腹最中」のほかにも、次々とヒット商品を生み出してきた。「景気上昇最中」「出世の石段」「義士ようかん」など、忠臣蔵など歴史やビジネスにちなんだ商品名で工夫を凝らしている。1日80個か100個売れたらヒット商品といわれる和菓子だが、取材日に作られた「切腹最中」の数は4400個だった。
次の世代へ「新正堂」を繋いでいく
3代目の背中を見て育った長男の仁司さんは新正堂の4代目になることを決意し、高校卒業後、別の和菓子屋で修行した。それから10年、今は専務として、新正堂のお菓子の製造を一手に引き受ける。売れ筋商品をはじめ、どら焼きや大福などの材料の配合を変えるなどのマイナーチェンジを重ねながら、着実に売上げを伸ばしているという。
話し上手な3代目に比べると、どちらかといえば寡黙な印象の4代目、仁司さん。 「父のように弁は立たちませんが、私が作ったお菓子でお客様に納得していただけたらいいですね」と話す。その腕前は、毎年、和菓子の日である6月16日に執り行われる東京・日枝神社の山王嘉祥祭りで、煉切奉納を行う全国和菓子協会の代表に選ばれるほど。若き和菓子職人としての期待も大きい。
実は、3代目は長男の仁司さんに「家業を継いでくれ」と口にしたことはなかったという。だからこそ、 「同業者に後継者がいなくて次々と廃業していく様子を見ていたので、新正堂を継ぐと言ってくれたときは本当にうれしかった」と顔をほころばせる。 そして、「初代から義父である2代目、そして3代目の私が繋いできたように、4代目の息子にもその先に『新正堂』を繋いでいって欲しいですね」と話す。その姿を横目で見ながら、「直接、父の思いを聞いたのは初めて」と仁司さんは大きく頷いた。すでに4代目には、次の世代を担う商品の構想があるようだ。 (取材・文・写真 / たなかみえ)