「モモ(絵本版)」訳者・松永美穂さんインタビュー 名作の哲学的なエッセンスを丁寧に凝縮
エンデの原文を再構成
――モモは不思議な女の子で、モモと話すだけでみんなが自分のしたいことがはっきりとわかったり、間違いに気づいたりしますね。 どんな背景を持っている女の子かはわからないけれど、あるとき現れて、みんなの話を聞いてあげて……あらためて読むと不思議な話ですよね。じっくり聞いてくれる人がいると、人は、素直になって語ることができるんだなと思います。 ――ケンカしていた大人同士が仲直りしたり、子どもたちもなぜか遊びに集中して夢中になれたりするのが不思議ですね。野外劇場の石段で、子どもたちが遊ぶ場面が、ダイナミックです。 「モモがそこにいるようになってから、これまでにないほど遊びが楽しくなったのです。もう、一瞬もたいくつすることはありませんでした」「モモはただそこにいて、みんなといっしょに遊ぶだけでした。でも、それだけで――なぜかはわかりませんが――子どもたちにはすごくいい考えがうかんできたのです」と訳したところですね。 原作は350ページ以上あるハードカバーなので、30ページの絵本になっているのは一部です。でも『モモ(絵本版)』は、よくあるダイジェスト版のようにストーリーを短く書き直したものではなく、原書のエンデの文章をそのまま一部抜き出して構成されています。ですから私が訳した文章も、ほぼエンデの原文通りです。冒頭部分をそのまま絵本に持ってきて、再構成しているのだと思います。
哲学的な背景のあるエンデ作品
――道路掃除のベッポの手もとを描いたシーンも印象的です。 働く人のこれまでの時間があらわれている手ですよね。確かに、こういった表現は絵本ならではですね。 ――絵本のはじめから終わりまで、石造りの野外劇場がどのページにも描かれているので、劇場の石段がまるでもう一つの主人公のようにも見えます。 ヨーロッパは石造りの古い建築物も多いですから……。昔があり、今があるという、石の劇場が昔と今を繋いでいる感じもしますよね。絵本だと、いろんな風景が自然に入り込んでくるところが面白いです。 ――エンデにお会いになったことはありますか? 残念ながらないのです。ハードカバーの『モモ』を訳された大島かおりさんの勉強会にお邪魔したり、エンデと親しくされていた子安美知子さんの勉強会に学生時代に参加したりしたことはありますが。また、早稲田大学で勤務しはじめた当時、エンデで卒論を書きたいという学生がいたので、そのときに「エンデ全集」(岩波書店)を購入しています。 私は32歳のときに娘2人を連れてドイツに留学をしているのですが、2人とも日本人学校に通ったので、ドイツ語の本を娘と読むということはありませんでした。日本語訳の『モモ』を読んだのもおそらく私が先で、家に置いておいたら娘も読んでいたという感じだったと思います。 ――『モモ』を書いたエンデという人物をどのようにご覧になっていますか。 とにかく一世を風靡したすごいストーリーテラーだなと。実際に物語が面白く、しかもただ面白いだけじゃなくて哲学的な背景のある作品を書いている作家だなと思います。 『モモ(絵本版)』の冒頭は、こんなふうにはじまります。「大きいけれど、とてもありふれた秘密があります。みんなに関係があり、だれでもその秘密を知っています」「その秘密とは、時間です」(略)「なぜなら、時間とは、いのちだからです」と。時間についての哲学的な文ですね。 ――絵本の中では、鳴かなくなったカナリアや、雨や風までがモモに話をします。松永さんが訳されていて、好きな場面はありますか。 そうそう、カナリヤや、テントウムシも出てきますね。私はどの場面も好きですが、最後、モモが夜空を見上げるシーンが、絵本ではとくに好きです。モモが円形劇場の石段に座って、星空の声を聞きとろうとするような、小さいけれど力強い音楽が聞こえてくるような……。モモのように耳を傾けるのは、なかなかできないでしょうね。現代はみんなバタバタしていて、なかなか相手の話をじっくり聞いていないことが多いなと思います。 『モモ(絵本版)』の表紙の絵も好きです。モモが夜空を見上げるシーンを、モモの背中側から描いた絵かなと想像します。 ――かつて子どもの頃に読んだとき、『モモ』の冒頭は、モモの聞く力についての描写が丁寧に続くので、灰色の男たちとの攻防にたどりつくまで読むのに時間がかかりました。『モモ(絵本版)』は物語の冒頭部分を読み通す助けになるかもしれませんね。 そうですね。この絵本が、エンデの物語を読むときの助けになったらいいなと思います。全体で見ると、やっぱり長編物語と絵本は別物、という感じになるかもしれませんけれど。