クインシー・ジョーンズさん死去 91歳 マイケル・ジャクソンさん「スリラー」など手がけた音楽プロデューサー
マイケル・ジャクソンさんの大ヒットアルバム「スリラー」など数々の名曲を手がけた米音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズさんが3日、死去した。91歳。死因は非公表。3回の最優秀プロデューサー賞など、米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞を28回獲得し、世界中の音楽家に強い影響を与えた巨匠が逝った。 【写真】仲良く肩組むマイケル・ジャクソンさんとクインシー・ジョーンズさん 米メディアによると、ジョーンズさんはカリフォルニア州の自宅で安らかに亡くなった。家族らが看取ったという。 1933年、中西部シカゴ生まれ。10代でレイ・チャールズさんと出会い、バンド活動を始めた。ジャズトランペット奏者や編曲者を経て、プロデューサーとして活躍。300のアルバムをプロデュースし、映画音楽も手がけてアカデミー賞に複数回ノミネートされた。多岐に及ぶ仕事ぶりから“大統領の次に多忙な男”の異名を持つ。 82年に手がけたマイケルさんの「スリラー」は「史上最も売れたアルバム」としてギネス認定されている。マイケルさんとのタッグで「BAD」などを世に送り出し、09年にマイケルさんが死去した際には「わたしは今日、弟を失った。魂の一部が彼とともに消えた」とコメントした。 慈善活動を積極的に行い、米スター歌手らによるアフリカ飢餓救済のチャリティー曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」(85年)のプロデューサーを担当。カウント・ベイシーさん、アレサ・フランクリンさん、ポール・サイモンら米音楽史に残る数々の大物アーティストとコラボレーションし、フランク・シナトラさんの「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」を編曲した。 ソロアーティストとしても81年の「愛のコリーダ」が大ヒット。「ソウル・ボサ・ノヴァ」は日本でもCMソングとして愛された。11年にはオバマ米大統領(当時)から、米政府が芸術分野で活躍した個人などに贈る最高栄誉の芸術勲章を授与されている。 作曲家・久石譲氏の名前の由来になったことでも知られる。