「日本に来てから3年半で人生が変わった」20歳ジェイコブス晶が語る“日本バスケを背負う覚悟”「ロス五輪までにNBA」「勇輝はかっこいい」
バスケットボール日本代表の一員としてパリ五輪に出場したジェイコブス晶(ハワイ大)。次世代のホープとして期待を背負う20歳に大会を振り返ってもらった。NumberWebインタビュー後編では、NBAへの思いを聞いた。〈全2回/前編から続く〉 【画像】「まじで日本の未来だ…」と話題になった172cm河村勇輝×206cmジェイコブス晶の胸熱ツーショット…Bリーグ“最年少デビュー”高校時代の姿「やっぱり身体デカくなってない?」(他100枚超) 以下、ジェイコブスの一人語り。 ◇ ◇ ◇ パリ五輪終了後は、久々にすごくゆっくりできました。日本で過ごしたのは3日間だけという短い時間だったんですけど、やらなければいけないこともやって、家族と一緒にリラックスできて楽しかったですね。 家にいた以外では、以前所属していた横浜ビー・コルセアーズに挨拶に行って、あとは僕と同じくNBAグローバルアカデミー出身の(川島)悠翔と一緒にご飯を食べに行きました。悠翔はシアトル大に進学が決まり、僕も五輪が終わったので、NBAアカデミーにいた頃から話していた“洋光台ハンバーガー・パスタイム”という店に行ったんです。「お互いにおめでとう」という感じで言い合って、本当にいい時間でした。
「この4年でNBAに到達したい」
そうやって日本で3日だけ休み、ハワイに戻ったら、もうバスケをやりたいという気持ちが高まってきました。できるだけ休もうとは思っているんですけど、いつの間にかボールに触り、シュートを打ってしまうんです(笑)。横浜やハワイの海でサップ(スタンドアップパドルボード)をやるのが趣味なんですけど、それ以外はバスケットボールの練習ばかりしていますね。 振り返ってみれば、2020年に日本に引っ越してからの3年半で僕の人生は大きく変わり、バスケットボール選手としてのキャリアはかなり前に進んだと思っています。パリ五輪にまで出場できたのだから、この4年間はよかったと思うし、だからこそこれからの4年間はもっとよくしていきたいんです。具体的には、今後の4年の間にNBAに到達したいですね。 パリ五輪、それに至るまでの合宿を通じて毎日、NBA選手とマッチアップしました。強化試合、本番の大会でも対峙したのはNBAプレイヤーたち。各国の代表でプレーするのはNBAの中でもスターばかりで、五輪に出られたおかげで、そんなレベルでも僕もやっていけるという気持ちが強くなってきています。 パリ五輪の選手村には世界中のアスリートが集まっていたので、スーパースターにも実際に触れ合えたのがよかったですね。朝起きて、エレベーターに乗ったらそこにはニコラ・ヨキッチやヤニス・アデトクンボがいたり。ロビーに行ったらヤオ・ミンがいたり。ヨキッチとも少し話して、「人間なんだな」と思ったりしました(笑)。 ずっとテレビで見ているスーパースターって人間じゃないかのように思えてくるじゃないですか。でも実際はみんながバスケが上手いだけの普通の人で、意外に通常の人生を歩んでいるんです。そういうのがわかっただけでも大きかったですね。 ヨキッチやヤニスと写真を撮ったか? いえ、撮ってないです。五輪で同じ競技をプレーしていたわけで、そこで一緒に写真撮影なんかしてもらったら僕の方が下に見えてしまうと思ったんで(笑)。ただ、こうやってスーパースターに会えたり、NBAグローバルアカデミー時代に対面してもらったことがあった渡邊雄太さんや馬場雄大さんともチームメイトになったり……。パリ五輪という舞台は、“本当に短い間に僕の人生は大きく変わったんだな”と改めて実感する機会にもなりました。
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