プロレス復活の立役者、棚橋弘至 “猪木問答”で貫いた信念今も変わらず
THE PAGE
昨今、人気復活の兆しを見せているプロレス業界。その立役者と言われているのが、“100年に1人の逸材”と呼ばれる新日本プロレス所属の棚橋弘至だ。レスラーとしての実力はもとより、甘いルックスと明るいキャラクターで新たなファンを開拓。 近年では、テレビの情報番組やファッション誌に登場するなど活躍の場を広げて、今月には映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー』(12月10日公開)にも出演する。一見するとチャラさすら漂わせる棚橋だが“逸材”と呼ばれる原動力となったのは類まれなる“プロレス愛”だった――。 「俺は、新日本のリングでプロレスをやります!」 2002年2月1日、「新日本プロレス」の札幌大会。 棚橋は、プロレス界の“神”と称される男・アントニオ猪木を前に力強く、不退転の覚悟を宣言した。プロレスファンの間で語り継がれる“猪木問答”の1シーンである。
“冬の時代”に誓ったプロレス愛
時は、プロレス冬の時代の真っ只中。 「PRIDE」や「K-1」などの総合格闘技が一大ブームとなり、棚橋の所属する「新日本」も、所属レスラーを総合格闘技のリングに上げたり、総合格闘技を意識した試合形式に着手したりと、その影響を受けざるを得ない状況となっていた。 そんな中、現役を退き、「新日本」のオーナーとなっていた猪木は全試合後のリングに上がり、プロレス界の未来、団体の次世代を担うレスラーたちを相手に観客の前で“公開問答”を敢行。 そこで、若手レスラーの有望株の一人だった棚橋が放ったのがくだんの台詞である。 「プロレスに対する姿勢は入門当時から変わっていませんでした。プロレスにはプロレスの魅力があって、格闘技には格闘技の魅力がある。僕はプロレスが好きになって、プロレスラーになった。プロレスというものの面白さを知ってもらえれば、僕みたいに生活が充実して、楽しくなる人がいるはずだと。プロレスの魅力を伝えたいという気持ちから、言葉にしたら当たり前のことを言ったんです」 とはいえ、格闘技ブーム全盛の当時、棚橋のこの言葉が観客の胸に刺さることはなく、「(会場の雰囲気は)『何を言ってんだ、コイツは?』みたいな感じでしたね」と当時を振り返る。