《ブラジル》記者コラム=聖人の島で起きた無慈悲な惨劇=南国の楽園を地獄に変えた近代史
ブラジル史上最悪の暴動
1948年頃に日本移民が釈放された後、同刑務所は再びブラジル人凶悪犯、政治犯で一杯となった。しかし上記のような扱いの悪さに、1952年6月に大暴動が起きて118人(囚人110人と看守8人)が死ぬ大惨劇に発展し、ブラジル近代史上最悪の刑務所暴動として当時、国際的に問題視され、1955年に完全閉鎖された。 これは1992年10月に聖市にあった南米最大の刑務所カランジルーで起きた大暴動を鎮圧する過程で起きた大虐殺(囚人111人死亡)が起きるまでは、伯国史上最悪の刑務所虐殺と言われた大事件だった。 この惨劇と日本移民が収監されていた時期は4年程度のズレしかないことから、反乱時の看守の大半は日本移民抑留時に居た者だったと思われる。同じ待遇の中でも日本移民は大半が模範囚として過ごしたが、凶悪犯らにとっては反乱を起こすほど耐え難いものだった。
血塗られた歴史に剣舞書道吟を奉納
そんな場所で17日、小池庸夫さんが唸る歌謡吟、小林眞登さん(45歳、2世)の見事な剣舞、河村淳さんの書道吟が同時に披露され、先人を忍んだ剣舞書道吟「白虎隊」として奉納された。 小林さんに追悼法要の剣舞を舞った気持ちを尋ねると、「幕末、会津藩は朝敵という濡れ衣を被せられ、戦争を仕掛けられ、白虎隊などの悲劇が生まれた。大戦中の日本移民も敵性国人との汚名を着せられ、酷い目に遭った。この歴史を重ねて思い浮かべながら先人の魂を鎮め、今ようやく皆さんのことがきちんと認められましたよと奉納する気持ちで踊りました」と述べた。 小池さんは「戊辰戦争の時に19人もの会津藩少年らが自害した悲しい歴史は日本史に残るもので、その剣舞は戦前移民もきっと舞われたに違いない。それを奉納することで少しでも先人の魂の慰めになればと思った」と説明する。書道吟を始めて2年という河村さん(80歳、島根県出身)=パラー州ベレン在住=は、「吟剣詩舞と書道吟を一緒にやるという組み合わせは、たぶん日本にはないのではないかと思う。剣舞書道吟というブラジル独自の日本文化スタイルで、先人に奉納できたことはとても嬉しい。ベレンでは琴の演奏も入れていますよ」と笑顔を浮かべた。 恩赦委員会の後、毎週のようにウバツーバに通っている奥原純さんは「悲しい歴史を繰り返さないためには、日本移民の歴史を風化させないことが重要。島でこうした顕彰行事を行っていくことは意味がある。そのためにはもっと地元ウバツーバ市とのつながりを強め、日系団体活性化を図ることは今後の課題」と述べた。 ガイドによればこの島は、最初の住人である先住民族タモイオス族とトゥピナンバス族にとって「太陽が最初に射す場所」であり、病気などを直しに来る神聖な地だったという。 以前は「イーリャ・ドス・ポルコス(豚の島)」という名称だったが、1934年がアンシェタ神父の生誕400年であることにちなんで現在の名前になった。1553年にイエズス会本部からブラジルに派遣された最初の布教師の一人で、2014年にはバチカンから聖人認定されたカトリック界の最重要人物の名前だけに、その血塗られた島の歴史は実に皮肉に聞こえる。(深)