問われる「芸術か、わいせつか」、禁書の世界──地下流通、蒐集家、司法との闘い
連載「『サド侯爵の呪い』をもっと楽しむ稀代の奇書をめぐる翻訳夜話」第3回
書籍『サド侯爵の呪い 伝説の手稿『ソドムの百二十日』がたどった数奇な運命』には主題となったサドの『ソドムの百二十日』を筆頭に、『ファニー・ヒル』(ジョン・クレランド著、18世紀英国のエロティカ小説)や『我が秘密の生涯』(19世紀の匿名作家による性愛遍歴を赤裸々に描いた自伝風の小説)など、かつては公然と読むことができなかった作品がいくつも出てくる。当時は秘密裏に出回り、読んだら捨ててしまう人までいたが、『サド侯爵の呪い』はこうした作品の存在なくしては語れない。 ギャラリー:いつか訪れたい、世界の美しい図書館 22選 というわけで、第3回は、禁書の烙印を押された作品についてお話しさせてください。 フランスでは、サドの本は禁書の扱いを受けており、暗黒小説が気楽に楽しめるはずの貸本屋でも、1825年にサドの『アリーヌとヴァルクール』と『恋の罪』は取り扱われてなかったそうだ。 『我が秘密の生涯』は『サド侯爵の呪い』にも登場するヴィクトリア朝の愛書家ヘンリー・スペンサー・アシュビーが書いたといわれているが、「作者不詳」で出版された。『我が秘密の生涯』には語り手の幼少期からの性体験が赤裸々に綴られており、世間体を考えて実名で発表することを控えたのだろう。そういえば、『ファニー・ヒル』を読んで興奮している場面もあった。ちなみに、『ファニー・ヒル』は『ソドムの百二十日』と同じく獄中で執筆され、アメリカで裁判にもかけられた作品だ。 19世紀後半のフランスは、エロティカブームの真っただ中にあった。禁書の扱いを受けた本はアンダーグラウンドで流通し、書斎の隠し戸棚の奥にしまいこんでいた蒐集(しゅうしゅう)家もいたという。やがてフランス当局は、取り締まりを開始し、出版人や書店主は公序良俗および公共の利益に反した罪で逮捕されるようになる。 ヴィクトリア朝時代(1837年から1901年)の英国でも、性は危険なものとして捉えられていた。 『サド侯爵の呪い』でも触れられているが、エロティカ系の作品について話すときには婉曲表現が用いられ、たとえば、「いちばん上の本(top-shelf)」「道を外れた本(out-of-the-way)」「興味深い文章(curious texts)」「おふざけの文章(facetious texts)」といった表現が使われたそうだ。また、本のディーラーはかつて、エロティカの本をカムフラージュするために、古ギリシャ語で「秘密」を意味する“Kruptadia”という言葉を使っていたという。 そういえば、『あなたの知らない卑語の歴史』という、ニコラス・ケイジが進行役を務め、英語の代表的卑語を紹介するNetflixのドキュメンタリーシリーズがあるのだが、そこで「Dick(クソ野郎、ナニ)」という言葉が紹介されていたのは興味い。もともとDickはリチャード(Richard)のあだ名だったが、やがて「野郎」のように男性を指す言葉になり、さらに、1860年代には「ムチ(Riding Crop)」を指すようになる。その後、ムチが男性器に似ているといわれるようになり、そこから男性器をDickと呼ぶようになったそうだ。 余談だが、1960年代、国民から支持を得られなかったアメリカのニクソン大統領は、リチャード・‟Dick”・ニクソンと呼ばれていたという。ここからDickに「クソ野郎」の意味が加わったらしい。まあとにかく、性を直接的に指す言葉は禁句とされ、隠語が定着していったわけだ。 そうそう、ムチで思い出したのだが、『サド侯爵の呪い』にもあるように、サドは異常なほど「ムチ」に執着している。サドが父親に入れられたルイ・ル・グラン学院では当時、体罰の伝統が厳格に守られていたようで、教育の一環としてムチが使われていた。 鹿島茂著『パリ、娼婦の館』によると、フランスにおけるSMといえば、基本的にムチ打ちだそうだ。フランス、もっといえばヨーロッパでは、子どもの躾には基本的にムチが使われており、ムチを自ら使えない親のためにムチ打ちのプロまでいたという。こうした幼児体験で、ヨーロッパにはムチ打ちに快感を覚える男女が多いとまことしやかに言われているらしい。