大会3本塁打を記録した敦賀気比Vのヒーロー松本はプロで通用するのか
北陸へ悲願の紫紺の優勝旗をもたらしたのは、敦賀気比の背番号「17」の脅威のラッキーボーイ、松本哲幣外野手(3年)のひと振りだった。 準決勝の大阪桐蔭戦で、史上初の2打席連続満塁本塁打という記録を作った勢いを買われて、続けて6番でスタメン出場。1-1の同点のまま迎えた8回一死二塁のチャンスに、ここまでヒットのなかった松本に打席が巡ってきた。初球のボールになるカーブを冷静に見逃すと、2球目に同じ変化球が、少しストライクゾーンに入ってきた。松本は、深い懐の中に存分に引きつけてフルスイング。甲子園にそぼ降る雨を引き裂くように低い弾道を描いた打球は、決勝2ランとなってレフトへ。松本は、一塁ベースを回るときに右手でガッツポーズを作った。 「これまでの野球人生でないくらいに、一番楽しい場所でした」 京都嵐山ボーイズ時代はピッチャー兼外野手で4番を打った。木下、嘉門、中井に誘われて、強豪の敦賀気比に入ったが、1年の冬に外野専任となって、2年の夏はベンチ外。マンモススタンドでの応援部隊に回った。 新チームにも、古傷の右の肩甲骨の故障で出遅れ、一桁の背番号はもらえなかった。これまで公式戦で1本も本塁打を打ったことのなかったその控え外野手が、準決勝、決勝で3本塁打10打点。ここまで打てば、もうまぐれを超越した神スイングである。 チームの誰もが認める努力家で一日、800スイングをノルマにしてきたという。野球の神様は、どこかで松本の流した汗と涙を見てくれたのだろうか。 大会3本塁打は、清原和博(PL学園)、元木大介(上宮)、松井秀喜(星稜)らに並ぶ史上10人目。しかも、この記録を作った過去9人のうち4人はダイレクトでプロへ、残り5人中2人も大学や社会人などを経てプロへと進んでいる。 では、満塁男・松本にもプロへ進む可能性が出てきたのだろうか。将来性も含めてプロで通用するレベルにあるのだろうか。