地震や生活への不安消えるまで、心の避難生活は終わらない【河原小避難所】
4月16日の熊本地震本震の直後、取材に訪れた熊本県西原村の河原小学校避難所。2カ月以上が経ったいまも約90人が体育館で寝泊まりしている。震災に追い打ちをかけるように、近年にない豪雨に見舞われるなか、避難生活はどう続いているのか、再び訪れた。
避難所は村の管理に いまでも舞台からの呼び掛けは続く
この避難所では、発生直後から避難した住民たちが、給食室にあった食材で自ら調理、配食をしたり、看護師の資格を持つ女性たちが救護チームを作ったり、自主的な運営が行われていた。 その「指揮」を全面的に担ったのが、堀田直孝さんだ。村の税務課長でもある。同課は、り災証明書を発行する、最も忙しい部署だ。前回取材の別れ際、堀田さんは「今度、取材に来ても、自分は役場に戻って、避難所にいないかもしれないなあ」と、やや寂しげに、つぶやいていた。 しかし、やはり彼はいまも、体育館の舞台上でマイクを握っていた。その前に広がる光景は、布団がずらりと敷きっぱなしだった当時とは異なっていた。プライバシーへの配慮から、避難世帯ごとに、高さ約1メートルほどのパーテーションで仕切られている。 堀田さんの呼びかけだけは、当時のままだった。 「みなさん、今日も一日、お疲れ様でした」。仮設住宅建設の進ちょく状況や復興事業に対する補助金など、住民に必要な情報をこの日もアナウンスしていた。 散乱した家具などを片付け、水道も出るようになったため、自宅には戻ったという。しかし、避難所総括と税務課長の兼務となり、その日常は、発生直後より忙しくなったようだ。 河原小避難所は現在、佐賀県などほかの自治体の職員が1週間交代で応援に訪れ、運営している。堀田さんは毎朝、午前6時過ぎには、避難所に「出勤」し、応援職員から前日からの様子について報告を受けたり、避難住民からの相談に乗ったりした後、役場に出勤。業務をこなしつつ、避難所で緊急な出来事が起きれば、車で十数分をかけて駆けつける。午後6時頃の夕食時にも、避難所へ顔を出すようにしている。 村内の避難所は5月に入り、順次、村が管理するようになった。食事も村から弁当やパン、おにぎりが届き、応援職員が配食や風呂の用意など、避難住民の世話をするように。ただ、避難所運営の最終的な責任は、「住民代表」でもある堀田さんに任されている。