忽然と消えたアイルランドの至宝、ホームズも解けない?今も人々を魅了する世紀の迷宮事件
シャーロック・ホームズが難事件に挑む?
そしてビカーズが注目されることになる。盗難に関わっていないとしても、防げなかった点が怪しまれた。 一週間前にビカーズが薬を盛られ、その際に合鍵を作られた疑いも浮上した。それよりも可能性が高そうだったのは、城で頻繁に開催していた個人パーティで、酒を飲みすぎたビカーズが利用されたのではないかということだ。 しかし、ビカーズには心強い仲間がいた。親戚のひとりが、シャーロック・ホームズの小説で一躍有名になっていた作家アーサー・コナン・ドイル卿だったからだ。ドイルは、できることは何でもすると申し出た。 ドイルはフィクション界最高の探偵の生みの親だったかもしれない。しかし、歴史家でこの事件についての著書があるマイルス・ダンガン氏によると、実際に捜査の手がかりにつながるような助言は提供できなかったようだ。結局のところ、ドイルにできたのは、犯行現場の地図に目を通し、裁判でビカーズを擁護することだけだった。
そして事件は迷宮入り
捜査にはダブリン警視庁やロンドン警視庁が関与していたにもかかわらず、犯人につながる進展はほとんどなかった。 捜査に加わったのは、警察だけではなかった。降霊術を使ったという霊能者グループは、宝石が近くの墓に隠されていると主張した。しかし、当局が捜索を行っても、何も見つからなかった。 1908年1月に始まった総督会議も、似たようなものだった。証人を召喚したり、実際に犯罪の調査を行ったりすることはなく、ビカーズに狙いを定めて非難を浴びせ、不注意を責めることしかしなかった。 結局、ビカーズは名誉とダブリン城での地位を失い、事件は未解決のままとなった。
アーネスト・シャクルトンの弟が犯人?
捜査で事件が解決されることはなかったが、ビカーズには仮説があった。ビカーズの主張によれば、盗難の黒幕はフランシス・シャクルトンという人物だ。 この人物は、南極探検で知られるアーネスト・シャクルトンの弟で、ロンドンとダブリンの社交界の名士であり、ビカーズのもとで紋章官として働いていた。さらに、高額な宝石でなければ埋め合わせできないような金銭問題を抱えていたとも言われる。 シャクルトンは簡単に宝石に近づくことができ、動機もあったようだ。しかし、アリバイもあった。ビカーズがなくなった宝石に気づいたとき、シャクルトンはダブリンにいなかったのだ。 20世紀初頭のアイルランドの政治情勢がからんでいるとする説もある。このころは、アイルランドの自治を求める声が高まっていた。英国王エドワード7世は、アイルランドの民族主義者たちが、植民地主義に対抗するために宝石を盗んだ可能性があると考えた。 アイルランドの自治が関係する説はほかにもある。「中にはとんでもない説もあります。アイルランド自治の気運の高まりを懸念した英国が、ひそかに『自分たちの』宝石を取り戻そうしたというのです」とダンガン氏は言う。 しかしダンガン氏は、英国の政治においてアイルランド自治論が危機的にまで高まるのは5年後のことであり、1907年時点では窃盗を企てるほどの動機はなかったと指摘する。