【野球浪漫2024】ロッテ・佐藤都志也 強打の捕手、飛躍中「ボールの見極めができるようになった。やるべきことはできています」
初安打がサヨナラ打
“デビュー”は鮮烈だった。 20年6月27日のオリックス戦(ZOZOマリン)。初回に両チームが1点を取り合い、その後はスコアボードに「0」が並ぶ投手戦となった。延長10回裏二死一、二塁。サヨナラのチャンスに代打で打席に立ったのが、プロ2打席目の佐藤だった。 「決めるというよりは、自分の中で自分の振りをしっかりしようと思って打席に立ちました」。本人が口にした「緊張」とは裏腹に、力強く初球の外角のチェンジアップを引っ張ると、打球がライトの頭を越えた。打った瞬間に確信し、ベンチに右拳を突き上げて喜びを爆発。無観客で静寂のZOZOマリンスタジアムにロッテナインの歓喜の声が響いた。 同年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で延長10回制。打ち取られれば引き分けに終わるゲームで、サヨナラ打でプロ初安打を飾った勝負強い新人がチームを7連勝に導いた。 「素直にすごくうれしいですけど、興奮し過ぎてよく分からないです」とさわやかな笑顔。新人の初安打でサヨナラは、球団では1988年の山下徳人、2002年の喜多隆志に次いで3人目の快挙だった。 自身初のお立ち台では、プロの抱負として「打てるキャッチャーとして、自分のセールスポイントを存分に出して、これからも一軍の試合でいっぱい打ちたいです」と誓いを立てた。 プロ初アーチもドラマチックだった。同年9月3日の本拠地ZOZOマリンスタジアムでの西武戦。2回二死、平井克典の直球を右翼席ギリギリに運び、先制弾にした。大学1年時にテレビで見て脳裏に焼き付いているのが、あこがれの栗山巧(西武)がお立ち台で放った「チームが勝つために」という言葉だった。献身的な姿勢に感銘を受け、自分のことで必死だった佐藤を変えた。記念すべき一発は、“恩人”の誕生日に目の前で放った。「『ナイスホームラン』と言ってもらえた。活躍した姿を見せられてよかった」と感慨深げだった。 福島・いわき市出身。祖父の影響で野球に興味を持ち、小5のときに平六小みやまスポーツ少年団で本格的にソフトボールを始めた。小さいころは巨人ファン。「祖父の影響もあって、巨人をずっと見ていた。自然と好きになりましたね。地元が福島なので、わざわざ東京まで行ける範囲でもなく、ずっとテレビで見ていました。巨人戦も2年に1回ぐらいの福島開催のときには行っていました。いわき市であったオールスターも行きましたよ」。強打の捕手・阿部慎之助に夢中の少年だった。 子ども時代から理論的に考えるのは捕手向きだったのかもしれない。素振りをする際にはコースを9分割して、相手投手の投球をイメージして行っていたという。 「素振りはただ数を振ればいいというものでもないと思います。(子ども時代は)ストライクゾーンの9マスを投手の球の軌道をイメージして振るのが、すごく実戦に近いと感じてやっていました。内角と外角で打ち方も違いますし、鮮明にイメージを持って、右ピッチャーのアウトコース低めとかをずっと振っていました。バッティングセンターもお金がかかるし、打撃練習も毎日はできないですからね」 本格的に捕手を務めたのは中学2年のときだった。本人はその経緯について「人がいなかったからですね。もともと小4でちょっとやったんですけど。結局は外野に戻ったりしたりして、中2で本格的にやったのが初めてです」と懐かしむ。 “捕手・さとうとしや”の誕生。入団時には、アニメ「MAJOR」に登場する強肩強打の捕手・佐藤寿也(さとう・としや)と同じ読みで話題となった。自身も愛読していたといい、「ずっと中学校から高校とすごく言われていました。(当時は)イジられるので嫌というか、実際の野球の実力とのギャップが大き過ぎて……。それに恥じないようにと思いながらやっていました。今は僕は僕なので、あまり気にしてないです。あんな成績を自分も出したいなと思います、近づけるようにしたいですね」とさわやかな笑顔を見せ、今はプロの世界での“漫画級”の活躍を目指している。