2015年、沖縄と「日本」の関係はどうなるのだろう ノンフィクションライター 藤井誠二
2014年の正月、ぼくが那覇市の中心部にかまえている仕事場で、那覇在住の作家・仲村清司さんらといっしょに、東京から着いたばかりの社会学者の宮台真司さんを待っていた。仲村さんと宮台さんは初対面のせいだろう、人見知りの仲村さんはすこし緊張しているように見えた。タクシーが停まる音が聞こえたので、階段を降りていくと小型のスーツケースを持った宮台さんがおりてきた。私は二人を紹介すると、すぐ近所の拝所で初詣をすませ、私の仕事場ですぐに対談に取りかかった。 年末に仲井真知事が、普天間基地の移設先として少なくとも県外と言っていた公約を破り、辺野古に米軍の新基地建設を認めてしまった直後だった。沖縄は怒りに湧き、いま思えば、ここから翁長新知事の誕生につながる流れが起きていたといえる。仲村さんと宮台さんは、一方的に政府を責めるだけでなく、なぜ仲井真知事は「転んだ」のか、与党や官僚は沖縄はカネで言うことを聞くと見ているのか、なぜ沖縄問題は膠着してしまうのか等を、版元も決めないまま語り合った。 このテの「沖縄」の内部をも批判の対象にするような議論は沖縄ではタブー視される傾向にあるが、『本音の沖縄問題』(講談社現代新書)で、仲村さんはヤマトに踏みつけられてきた沖縄の歴史だけでなく、沖縄が米軍基地の見返りに莫大な補助金を受け取り続けてきた過程に問題はなかったという「責任」も照射した。そんな仲村さんの思いを私がコーディネイトするかたちで、私は長年の付き合いがあり、日本を代表する知性である宮台さんに白羽の矢を立てたのだった。 若い時期から頻繁に沖縄を訪れ、行動する社会学者として沖縄と「内地」の関係を考察し続けてきた宮台さんは快諾し、『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)はこうして生まれた。この本をつくる過程で、仲村さんとは私が沖縄に滞在するたびに路地裏を歩き回り、飲み喰いしながら、語り合い続け、濃密な時間を共有できた。