2015年、沖縄と「日本」の関係はどうなるのだろう ノンフィクションライター 藤井誠二
「あるジャーナリストが、復帰前までは沖縄の人たちは『何が大切か』どうかを考えたが、復帰後は『何が損か得か』しか考えなくなったと指摘しています。けだし名言だと思う。その損得には軍用地も含まれていますが、いまや軍用地は優良資産として扱われ、土地そのものが投機の対象になっています。もし、軍用地の名義が内地のブローカーなどにわたると、かりに返還されたしても、跡地利用の合意形成に支障を来すおそれもあります。地域が分断されて、共同体としての生活と生産の場を確保できなくなったらどうなるか。何が大切なのかどうか、いまほど問われているときはないと思います」 それは返還地の跡地利用に巨大モールを誘致することにより、周囲の町が加速度的に廃れていっている現状や、沿岸を埋め立て続け、美しい海岸をこわして住宅地などをつくり続けてきた「判断」にもあらわれているのではないか。 知事は10万票の差をつけて仲井真前知事に翁長元那覇市長が圧勝し、衆院選は名護市辺野古への新基地建設に反対を主張した候補が全小選挙区で自民公認候補を破った。選挙結果が普天間問題に影響を与えるのは必至だが、小選挙区で破れた候補は比例区で全員が復活当選した。 「九州ブロックで上位8人中、沖縄県選出議員が4名。当選した8名のうち4人が沖縄の議員という結果になった。これでは小選挙区で激しく争い民意を示したのに、いったい何のための闘いだったのかと落胆をしている人も多いでしょう。今回の選挙の最大の特徴は保革の枠で語れなくなったことに尽きる。それをもって保守分裂といわれているが、保守と称しても、本土の自民党と沖縄の自民党は発祥が異なり、本来別の組織です。合流したのは本土復帰を目前に控えた1970年で、沖縄の保守は中央とは異なる政策課題を常に抱えながら今日にいたっているのです。事実、復帰後に行われた知事選で保守系は7勝していますがが、特徴的なことは、どの県政も基地の整理縮小を求め、稲嶺県政だけをのぞいて新たな基地の建設を認めなかったんです。稲嶺県政も普天間基地の『代替施設の使用期限は15年』という公約を掲げ、事実上は新基地建設を断念させています。このまま工事を強行すれば、沖縄では消費増税よりも新基地建設問題がより争点化するのは確実で、“日本”との関係を問う動きや運動もますます活発になっていく。日本の尻尾=沖縄は胴体を揺さぶるほどの存在になりつつある。“本土”はそのことに気づくべきです」 私も稲嶺元知事にインタビューしたことがあるが、15年後は民間飛行場として北部振興の拠点の一つに考えていたと語っていた。