江戸幕府のメインバンク!鴻池家の物語~犬のお礼は10倍返しだ!~
大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんに「歴史」と「落語」をまじえたお話を楽しく語ってもらう記事です。 文化の花が開くのは戦のない平和で穏やかな世界。徳川家康が築いた江戸時代は、その約260年の間に“元禄文化”(元禄期の1688~1704年)と“化政文化”(文化・文政期の1804~1830年)という時代を代表する二つの文化が生まれました。 元禄文化は上方が中心地で、あきんどの町らしく商業も大きく成長します。そして、人形浄瑠璃及び歌舞伎の作者・近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)、歌舞伎俳優・初代市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)や初代坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)、画家・尾形光琳(おがたこうりん)、浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)など、後の芸能芸術に影響を与える人々が活躍。さらに時をほぼ同じくして、京都に初代露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)、大阪に初代米沢彦八(よねざわひこはち)、江戸に初代鹿野武左衛門(しかのぶざえもん)がそれぞれ落語の礎となる話芸で人気を博します。 また、化政文化は元禄文化で誕生したものがより一層庶民に浸透し、特に江戸の町人の間では著しい流行の気配を見せます。作家・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)や滝沢馬琴(たきざわばきん)、浮世絵師・歌川広重(うたがわひろしげ)や葛飾北斎(かつしかほくさい)等の作品は広く知られ、歌舞伎はいよいよ隆盛を誇り、落語も寄席小屋が乱立する程盛んで、初代三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)や初代林家正蔵(はやしやしょうぞう)等の名人が現れました。 さて、上方落語によく登場する実在の人物、大阪の豪商・鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)。有名な噺では、『はてなの茶碗』『御神酒徳利(おみきどっくり)』『須磨の浦風』、そして『鴻池の犬』は演題にまでなっているのです。初代が1608年生まれで、代々当主が名前を継いでいます。清酒を開発した酒造業から、初代善右衛門が両替業や海運業に着手すれば、その身代は益々大きくなり、元禄期には100以上もの大名の財務に関わる大名貸となりました。幕府御用の両替商で、明治時代には十代が銀行を設立、十一代で男爵の位を授かり、分家も含めた一族で鴻池財閥を成したのです。 『鴻池の犬』は…早朝、ある商家の店先にクロ・シロ・ブチの三匹の子犬が捨てられている。犬好きの丁稚が旦那にせがみ、店で飼うことに。皆の足元でコロコロじゃれついたり、使いに出た子供衆のお供をしたり、三匹が店に慣れてきたある日のこと。表で遊ぶクロを見て、ぜひ貰い受けたいと男が頼み込んできた。旦那が承諾すると、「吉日にいただきに上がる」と帰ってしまう。十日後、例の男が紋付きに羽織・袴、手には白扇(はくせん)という出で立ち、しかも大量の手土産持参でやってきた。鰹節一箱、反物二反、酒三升をどーんと前に置かれた旦那は驚き、「拾った犬で物貰った、金儲けした、なんて言われたら表を大手振って歩くことも出来ん。クロはやれん。これ持って帰っとくなはれ」と追い返そうとする。男は慌てて、「実は、手前は今橋に住む鴻池善右衛門の手代で太兵衛と申します」と名乗る。鴻池の坊が可愛がっていた黒犬が病気で死んでしまい、坊が大変悲しんでいる。似た犬を探し回っていたところ、瓜二つのクロを見つけた。鴻池の旦那も大喜びしていると、ことの経緯を説明した。「あぁ…なるほど。鴻池様でしたら、これくらいのことはやらはるでしょうな。クロは差し上げましょ」と旦那は納得。クロは言わば養子、以後の親戚付き合いを乞われるも、「天下の金満家・鴻池善右衛門と親戚付き合いなどできまっかいな…」と慇懃にお断り。太兵衛はクロを立派な輿に乗せて帰って行った。それからのクロは、広い庭で放し飼い、栄養満点のご馳走を食べ、大きく逞しい犬に成長。喧嘩は強く、揉め事もよく仲裁し、弱犬の面倒もみる。雌犬には優しくモテモテ。“鴻池のクロ”と言えば、泣く子も……いや、鳴く犬も黙る大阪一の大将、親分、親方、兄貴、顔役犬となった。さぁ、この後生き別れた三匹の兄弟犬たちがどのような運命を辿るのか……笑いの中にホロっとさせられる箇所もあり、味わいある上方噺。何より鴻池家の富豪ぶりがよくわかる一席『鴻池の犬』をぜひ聴いてみてください。 鴻池善右衛門は1608年生まれの初代から現在の15代まで続いています。1603年~1867年の江戸を率いた〝徳川十五代〟と深い縁(えにし)を感じますね。各大名の財務を担う大名貸、幕府お抱えの両替商だった鴻池善右衛門は、今で言うメガバンクであり、徳川代々のメインバンク。徳川将軍家の『大奥』はドラマ界で花盛りですが、鴻池両替商のお家騒動を題材とした徳川幕府版『半沢直樹』なんかも見てみたい!…のは私だけ?(笑)あ…どちらも他局でした!(汗)
桂 紗綾