“演歌第7世代” 新浜レオンが語る、歌手デビューまでの道のりと高校球児時代からつながる夢「挑戦していく存在であり続けたい」
◆歌手に反対のお母様の希望もあって、大学に進学したんですね。 そこからかばん持ちだけではなくて、父のバックコーラスとか前歌を大学の4年間やらせてもらって。そのご縁から父が出るテレビ番組で、家族トークをする企画があったんです。僕と姉が出て、その時に父を追って歌手になりたくて、今バックコーラスもやっててという話をしたんです。そしたらその番組のプロデューサーさんから、僕をその番組でアシスタントのMCでレギュラーで使いたいというお話をいただいたんです。 そこでアシスタントのMCをやらせていただいて。その番組では毎週いろんな歌手の方が出られるので、初めて父以外の歌手の方から直接お話を聞くことができて。その中で、あらためて演歌・歌謡曲の素晴らしさを知って、ますますこの世界でデビューしたいという気持ちが高まっていって。 それで大学4年でみんなが就活をしている時に、僕はデモテープを持ってレコード会社をどんどん当たって、今所属する当時Being(ビーイング)、今はB ZONE(ビーゾーン)という会社をご紹介いただいて。ただ、待てよ、演歌・歌謡曲の歌手の人、誰としていないよな?って思ったんです(笑)。 それで、演歌・歌謡曲しか勉強してないんですよっていうお話をしたら、それでもいいから1回歌を聴いてみたいということでデモテープを送ったら、いろいろと重なって、初の演歌・歌謡曲歌手という形でデビューをする流れになったんです。 ◆大学を卒業してくらいのタイミングですか? 卒業して2か月です。みんなと同じ就職のタイミングでデビューできたんです。令和元年5月1日。令和になるタイミングで、新浜レオンとしてデビューをすることができました。 ◆めちゃくちゃエリートコースということになりますよね。 本当に奇跡としか言いようがないというか。とはいえ、演歌第7世代の例えば辰巳ゆうとさんを見ると、大学在学中にデビューしているんです。二見颯一さんもそうなんですけど。 僕も高校を卒業してからずっと、チャンスを狙って勉強していたんですが、ここに行き着くまでは、いい話というのはひとつもなかったんです。演歌・歌謡曲の強いレコード会社さんにも当たったんですが、いい話というのが最後の最後までなくて。ビーイングが本当に一番最後だったんです。 母の「分かってるよね?」という圧がすごいわけですよ(笑)。これで大学を卒業して、アルバイトしながらとか、まだ道が決まらないやり方はなしっていうのは最初から母との約束として大学に行かせてもらったので。 大学4年の6月、周りのみんなはもう就職先が決まっていく中でご縁をいただいて始まって、という部分では決してトントンと決まったわけではなくて。 それで、デビューをするときに、ちょっと日焼けしてるねって話になったんですよ。氷川きよしさんからそれ以降に出てくる若手の歌手の方って、わりと髪が長かったりとか、色も染めてたり、ピアスをしたりとか、演歌歌手っぽくない姿でデビューされている歌手の方が多かったんです。 それならば、僕はせっかく野球をやってたので、王道の山本譲二さんのような本当の昭和のような人でデビューしたほうが自分は面白いんじゃないかなって思って。もう“筋肉は男のロマン”というくらい(笑)筋トレして、髪も上げてピシッと角刈りのような雰囲気でビーイングの方に会って。 そうしたら日焼けしてるし、体形もちょっとガッチリしすぎだから痩せたほうがいいんじゃない、髪も短いんじゃないって言われて、ふたを開けたら真逆じゃないか!って(笑)。でも僕ももうラストチャンスで、ここを逃したら本当に一般の企業に就職するっていうような勢いだったので、じゃあ全部逆でやりますと決意して。1週間後にテスト撮影をしましょうという話になったので、その1週間で10キロ痩せたんです。もう何にも食べず、髪の毛も伸ばして、肌をとにかく焼けないように日焼け止めを塗ってみたいな生活をして。 そして10キロ痩せてテスト撮影をしたんですが、後に話を聞いたら、歌とかというよりもその姿からやる気と熱意みたいなものを感じてくださって、いろいろ物事が進んでいったそうで。最終的にはデビューするまでにトータルで25キロ痩せてデビューしたんです。 ◆ということは、当時は相当ガッチリしていたんですね。 そうですね。キャッチャーをやっていたので、デカい男こそかっこいいと思っていたんですよ(笑)。今でもそこは変わっていなくて、デカい人がかっこいいと思うんですけど、ただ演歌・歌謡曲を歌う、そして応援してくださるファンの皆さんを作るには、やっぱりそうはいかなくて。求められるものと自分がやりたいことをいろいろ自分も冷静に見て、今の姿に至りました。 やっぱり若い人に演歌・歌謡曲の素晴らしさを知っていただきたいという思いがあって。ビーゾーンから演歌・歌謡曲で初めての歌手としてデビューしたところも含めて、そういう幅も広げていける存在になりたいなと思ってます。