“演歌第7世代” 新浜レオンが語る、歌手デビューまでの道のりと高校球児時代からつながる夢「挑戦していく存在であり続けたい」
3月15日(金)に行われる「我ら演歌第7世代!春一番スペシャルコンサート」に出演する新浜レオンさんにインタビュー。歌謡界に旋風を巻き起こし、飛ぶ鳥を落とす勢いの新浜さんに、歌手になるまでの経緯、そして今その胸に抱く夢までたっぷりと語ってもらいました。 【撮り下ろし写真】クールに決める新浜レオン ◆新浜さんが歌手を目指した経緯を教えてください。 小学校2年生から高校3年生までは本気で野球をやっていました。小学校のときに卒業文集に「プロ野球選手になる」と書いていて。高校時代もとにかく甲子園を目指すという学生時代を過ごしていました。ただ父親が演歌歌手なので、車に乗ればいつも演歌が流れていて、テレビもいつも歌謡番組を見ていたんです。そういう意味では演歌・歌謡曲が昔から大好きでしたし、とにかく身近にあるものでした。 そういう曲を聴きながら、野球をやっていて。それでいつしか甲子園に出ることもそうなんですけど、プロ野球選手になって、打席に入るときの登場曲で父親の曲を流すという夢を自分の中で持って野球に打ち込んでいたんです。 ただ、結果的に甲子園に出場することができず、最高成績は高校の県大会ベスト4で。そこからあらためて父ってどんな仕事をしているのかなと思って。姉と弟がいるんですが、歌だけで育ててくれる父って、歌手っていう仕事、最高じゃんって思ったんです。 ◆お父様の2代目「伯方の塩」CMソングでおなじみの演歌歌手・髙城靖雄さんへの憧れが原点なんですね。 それで、野球を引退して丸刈り頭のまんま、父のかばん持ちを始めたんです。でも、父の姿をより近くで見ていると、もう息子として見たくない姿っていうのがあるんです。 というのは、僕の中で、世界一歌がうまい人は父親だと思っていたんです。それがいざ初めてレコーディングの現場に連れて行ってもらった時に、父が「そういう歌い方じゃなくて、こうやって歌いなさい」って担当ディレクターの方に言われている姿を見て。 自分もデビューした今になってみれば当たり前なんですけど、当時は想像できなかった姿なんです。父が人からこうやってって言われてるって、息子として初めての感覚で。1曲ができるまでの姿、そこにはいろんなスタッフの方の支えがあって。発売するまでの苦労を知った時は、あぁ…近くで父の姿見なきゃよかったとか、歌手になりたいなんて簡単に言うもんじゃないなと思って。 でも手伝えば手伝うほど、いや待てよと。こういうつらい姿を僕ら家族に見せたことなかったんだなって。父はいいところだけを見せてくれていたということに気づいて。そんな父を、歌い手としてはもちろんなんですけど、あらためて人としてものすごく尊敬したんです。そのいろんな苦労を見て、それを超えてやっぱり父のようになりたいと。父は演歌・歌謡曲を歌っていて、たくさんの皆さんに感動を与えている。 そんな父のように演歌・歌謡曲の歌手になりたいって家族の前で宣言したんです。それが大学への進学を含め、これからどうしようかというときで。そのとき、父は何も言わなかったですが、やってみたらいいんじゃないかみたいな雰囲気で。 それに対して母親は大反対して。僕もこういう家庭を見て、中途半端に軽はずみに言っている「歌手になりたい」じゃないですよ。本気で決意して歌手になりたいと言ったんですけど、反対されて。 ◆新浜さん的にはまさかの反対という感じですか? それまで野球をやっているときは、誰よりも朝一番早く起きて、山盛りのお弁当を2個も作ってくれて。夜遅くに泥だらけで帰ってきても、寝る時間を惜しんでユニホームを洗ってくれて。そんな一番支えてくれた、とことんそばで応援してくれた母が反対したもので衝撃だったんです。僕は、歌手になるなら誰か師匠につかないとねとか、じゃあ歌の専門学校に行かないとね、なんてそんな話になると想像していたんです。それがもうダメ!ってなったので話がかみ合わないんですよ。 でも母親はそんなのやめて、公務員になりなさいって言うんですよ。普通に一般的な穏やかな生活をしてほしいからって。それで野球を生かすには、消防士とか警察官になったらって話になってきて。 いや、もちろんそれもいいんですけど、歌手になりたいというのは、曲げられないものがあった。それでも歌手になりたいってずっと言い続けたら「じゃあ分かったから、お願いだから大学には行って」という話になって。当時僕も野球しかやってないので今から勉強するのも…っていうところで、学校の先生にいろいろそれの事情を話して。野球の顧問の先生は、僕が大学も社会人も野球をやると思っていて、ありがたいことに野球の推薦をいただいていたんです。 高校の先生も、どこどこから推薦をいただいているから、ここで野球をやるのはどうだみたいな話をしてくれて、それも心苦しくて。それで先生にも事情を話して、指定校推薦ということでお話をいただいたのが大東文化大学だったんです。学部が国際関係学部国際関係学科、英語専攻、ここがレオン君にもぴったりだということで受験をして、大学に進学する運びになったんです。