東京ヤクルトスワローズ ベースボールアカデミー 開校までの道のりと築く地域の野球活性化「大人になっても野球と長く触れ合える原点に」
様々な連携を築き、念願の開校へ
開校から2年が経過したアカデミー。生徒数も順調に増え、拡大を見せている。ただ、立ち上げまでには長い時間をかけ、地域各所との連携が欠かせなかった。塙さんは、実現までの経緯について語った。 「以前から構想はありました。ただ、人的リソースや開催場所などの課題もあり、なかなか実現まで至らなかったんです。そんな中、球団のトップスポンサーでもあるオープンハウスさまにバックアップいただいて、開校することができました」 21年の春に準備室が設けられ、開校に向けた準備が本格的に始まった。その後は、東京をフランチャイズに置くチーム同士の協力も大きな力になった。 「動き出しから読売ジャイアンツさんに情報をいただいて、実際のスクール見学にも行かせてもらったんです。住田や川島峻、石附彩の3コーチは元々ジャイアンツアカデミーで指導経験があるので、両球団で交流しながら進めていきました。お互い東京に本拠地を置く球団なので、『協力して東京の野球人口を拡大していきましょう』という想いでやっています」(塙さん) 最も大きな壁となったのがグラウンドの確保だった。通年かつ同じ場所・時間で開催できる場所を探すのは困難を極めた。住田コーチは当時のことをこう振り返った。 「都内各所のグラウンドに電話して、直接説明にも伺いました。区役所にプレゼンテーションしにも行きましたし、ひたすら足を運びましたね。 コーチたちとは『誰一人欠けても(開校)できなかったよね』と今でも話しています。今後もずっと語り合える、そんな時期でした」 準備室の設置から1年近くかけて港区・渋谷区・中央区の3拠点での実施が決まり、晴れて開校することができた。その後さらにもう1年かけて江戸川区と杉並区が加わって現在に至る。 「地域の協力なしにはできないものなので本当に感謝です」と塙さんは改めて述べた。
住田コーチが取り入れたメニューの工夫
住田コーチは、上述の通りジャイアンツアカデミーで指導者としてのキャリアをスタートさせた。専門学校時代から研修で参加しており、卒業後に正式にコーチに就任した。 今につながるコーチとしてのキャリアで欠かせない人物が一人いた。 「倉俣徹(現:巨人軍 野球振興部長)さんに一番お世話になりました。指導のノウハウや子どもたちとの接し方など、今につながる全てを教えてくださった方です。もう感謝してもしきれないくらいです」 21年にスワローズへ移籍したのも倉俣さんの力添えだったという。巨人での経験を基礎に、今も子どもたちの成長に寄与している。 スワローズアカデミーの特徴の一つとして、必ず試合形式のメニューが組まれている。幼児コースでは打者がティースタンドで打って走り、守っているみんなで打球を追いかけ、小学生コースからはコーチが投手役を務めて、守備もつけて行っている。 これは住田コーチが導入したものだった。 「1・2年生でも毎回試合を入れるようにしました。これまで3回に1回試合を入れていたのですが、試合の時は特に子どもたちの目が輝くんですよね。 楽しそうに打って・守って・走って。レッスンが終わってからも上手くなろうと、自主的に残って練習しているんですよ。なので上達のスピードも速いと感じています」 渋谷校に取材に行った際、2年生ながら高学年に引けを取らない体格の子もおり、外野を大きく越えるホームランを打つパワーを見せた。 また、ヒットを打つと満面の笑みでコーチに語りかけ、一塁を守っていた度会コーチも「今のいいじゃん!」とハイタッチで迎えるシーンも見ることができた。
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