「フェミニズムと映像表現」(東京国立近代美術館)会場レポート。フェミニズム・アートを美術史のなかで語る
個人的な声をダイレクトに伝えるビデオは、社会に問いを投げかけるメディアでもある まずフェミニズムとは何かという前提について、同展では「女性の生の可能性の拡大を求めると同時に、あらゆる性の平等をめざす思想や活動」としている。さらに、英語圏を中心とするフェミニズムの流れには4つの特徴的な波がある。第一波は19世紀末~20世紀前半、相続権や財産権、参政権という公的な権利を求めた運動に象徴される。1960年代に始まる第二波は、男性が政治や経済活動を担い、女性が家事を担うという性別で活動領域を分ける伝統的価値観を問題視し、その構造の変革を目指した。第三波は、第二波の考えを引き継ぎながら、人種やセクシャリティなど性別以外の属性に基づく女性たちの間の差異や多様性を意識するとともに、外見や行動において「フェミニストならこうあるべき」と決めつけるのではなく、個人の自由を尊重する運動として展開した。第四派は2010年代以降、第二派、第三波のフェミニズムに学んだ世代を中心に、SNSなどのオンラインを通じて運動への参加や問題意識が共有されるようになっている。 本展の参考文献のひとつとして、清水晶子『フェミニズムってなんですか?』(文藝春秋、2022)が挙げられているが、2022年に東近美に着任した小林は、大学院で清水ゼミに参加した経験を持つフェミニズムの歴史を学んだ第四波世代に当たり、周囲にもフェミニズムやジェンダーの視点から美術史・文化史研究や作品批評を行う学生が一定数いたという。通史として語るには東近美のコレクションはこの領域において手薄であることは否めない。年代が違う作品を緩やかに紐づけるため、「マスメディアとイメージ」「個人的なこと」「身体とアイデンティティ」「対話」という4つのキーワードを挙げた。フェミニズムやフェミニズムアートを学んだことがない人々にも入りやすいキーワードだ。 「企画のきっかけは、2022年度に80年代生まれの遠藤麻衣と百瀬文の共作《Love Condition》が新収蔵されたことでした。ジェンダーやアイデンティティ、セクシャリティについて問いかける、様々な見方が可能な作品ですが、フェミニズムと映像表現という組みあわせを象徴する作品として見ることもできます。そこから当館のコレクションを調べてみると、当初はフェミニズムと映像という枠組でくくれる作品は少ないんじゃないかと思っていたんですが、1970年代前後に制作された映像作品のコレクションのなかにダラ・バーンバウム、マーサ・ロスラーなど、当時のフェミニズムの動向に影響を受けて制作された映像表現がいくつかあることがわかりました」(小林)。 例えば1970年代の作品は第二派の時期に重なる。そこで「フェミニズムと映像表現の結びつきが70年代から現代までどう変遷してきたのか」「遠藤さんや百瀬さんのようなフェミニズムに関する現代の作品を美術史にどう位置付けて語れるか」を探るために企画を練っていったという。全員がフェミニズム・アートの担い手というわけではないが、いずれも自己と社会をめぐる課題に映像表現を通じて向きあっている。 では、フェミニズムと映像表現はどのように結びついていったのだろうか。「1960-70年代にはテレビやビデオなど新しいテクノロジーが登場し、アーティストが作品に取り入れるようになりました。また、公民権運動やベトナム戦争反対運動など社会に対する異議申し立ての風潮が強まった時代でもありました。『個人的なこと』というキーワードで、“個人的な声をダイレクトに伝えるビデオは社会に問いを投げかけるメディアでもあるのです”と企画メンバーの松田が書いていますが、女性アーティストにとって、自分が目にしたものや自身の身体についてダイレクトに伝えられることが大きく作用しているように思います」(小林)。
取材・文=白坂由里(アートライター)