ゴルフ“団体戦”なのに?米国が表彰台を独占 1904年セントルイス五輪
マラソンで“大事件”も
パリではなかった表彰式が行われ、上位3人に金、銀、銅を授与する現在と同じシステムが導入されたのはセントルイスから(※4)。出場選手数で圧倒的だった米国が94個の金メダルのうち70個を獲得し、陸上競技に限れば22種目中21種目で優勝、2位と3位も22種目中44を数えたといわれている(※2)。 ちなみにオリンピック史に残る“大事件”も起きている。8月30日のマラソン競技(40㎞)に出場した米国のフレッド・ローツが20㎞過ぎで力尽き、道ばたに倒れ込んでしまった。通りかかった車に乗せてもらってスタジアムに帰ろうとしたが、あと8㎞ほどのところで車がエンスト。回復したローツは車から逃げるように飛び出し、1着でゴールしてしまった。ローツを乗せた男性の告発で不正は即座に暴かれ、約1時間後にゴールしたトーマス・ヒックス(米国)が金メダルに輝いた。
※1=出典:「オリンピック全大会:人と時代と夢の物語」(武田薫 著) ※2=出典:「オリンピック全史」(デイビッド・ゴールドブラット 著 志村昌子、二木夢子 訳) ※3=出典:「オリンピック記録総覧:メダリスト&日本選手」(日外アソシエーツ株式会社編集) ※4=出典:「スポーツの文化史:古代オリンピックから21世紀まで」(ヴォルフガング・ベーリンガー 著、高木葉子 訳)