工房職人の技「金子眼鏡」高級ブランド化への軌跡 低価格チェーン隆盛の中で“逸品”を訴求
発祥地の福井県鯖江市は国内のメガネフレームの9割以上を生産し、世界的に高い評価を受ける生産地だ。特に評価を高めたのはチタン製メガネの製造技術で、「チタンのメッキ処理、カラーフレームの処理が上手なので商品が長持ちする」(業界関係者)という。 JEHの2025年1月期の通期予想は売上高149億6000万円(前期比10.6%増)、営業利益は43億円(同16.2%増)を見込む。営業利益率は約29%と驚異の高収益だが、1958(昭和33)年の創業当初は今と様相がまったく違っていた。
■当初は家族経営の卸問屋で同業95~96位 創業時は家族経営の眼鏡卸問屋。鯖江にあった100前後の同業者では後発で当時の売上高は95~96位程度。公式サイトで「はじまりは最後列から」と記すほどの存在だった。 創業者・金子鍾圭氏の息子である金子真也氏は1981年に東京の大学を卒業後、父との約束を守り、帰郷して家業に入社する。そんな同社の成長要因は先見性と時代性にあった。 華やかな東京で時代の最先端に触れた後、ものづくりの故郷に戻った2代目は、卸売りの営業で各地に出向きながら、ある決意を持つ。自社オリジナルブランドの立ち上げだ。
「当時の業界はライセンスブランド全盛期でしたが、1987年に自社ブランド『BLAZE』(ブレーズ)をスタートさせました。幸い好評となり売り上げも拡大。10年後の1997年には『SPIVVY』(スピビー)という別ブランドを立ち上げ、こちらも成長しました。この2つのブランドが軌道に乗り、眼鏡卸問屋から製造販売業に進化したのです」(金子真也社長) 若い頃の金子氏の武器は営業でも培った「メガネを見る目」と「オリジナリティ」「感性」だったという。企画した自社ブランドが東京や大阪の個性的なセレクトショップで受け入れられ、BLAZEを愛用する芸能人が現れるなど人気が高まっていった。