憲法に対する国家の解釈権行使を怠った…当時の吉田茂首相、東京帝国大学法学部の教授たちは〝占領軍の意向〟過剰に忖度
【杉原誠四郎「続・吉田茂という病」】 日本国憲法が公布(1946=昭和21=年11月)されて今年で78年となる。だが、国会での改正審議は一進一退を続け、改正の目途は立っていない。 この憲法について、当時の吉田茂首相が「国家としての解釈」を明らかにする義務なり責任があったのに、その義務なり責任を全うしなかったことについて述べたい。 現行憲法は占領軍から押しつけられたとき、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とあり、日本政府を驚かせたことは事実だ。この「象徴」と、憲法前文の「主権が国民に存する」という記述を受けて、東京帝国大学法学部の教授たちは、憲法学担当の宮沢俊義教授を中心に「天皇は国家の元首ではない」という解釈を公表した。 だが、日本国憲法はあくまでも、大日本帝国憲法の改正としてできたものである。改正法規の解釈は、旧法規にできるだけ近づけて解釈しなければならないという法治主義の原則に従えば、新憲法に「元首は総理大臣である」とか、「天皇は元首ではない」という規定がないかぎり、「天皇は依然として元首である」と解釈するのが正当なのだ。 主権在民についても、大日本帝国憲法の改正は天皇しか改正案を出せなかったが、たとえ天皇の示した改正案であっても、帝国議会議員の3分の2の賛成がなければ改正はできなかった。つまり、大日本帝国憲法も本質的には政治意思の決定にあっては「国民主権」になっていたのだ。 だから、日本国憲法の運用に当たっては、「天皇は元首である」という解釈を、吉田は少なくともサンフランシスコ講和条約が発効して主権が回復した、52年4月には明らかにしておく必要があった。 「皇室の祭祀(さいし)」について、前出の宮沢を中心とする東京帝国大学法学部の解釈は天皇の「私的行為」だと解釈した。だが、世襲の天皇の祭祀は私的なものと解釈することは明らかに誤りである。皇室の祭祀、天皇の祭祀は、政治に関わる「国事行為」とともに、天皇の神聖なる「象徴行為」の一種なのだ。 将来改正するとしても、当面は日本国憲法のもとで国家運営を行うのであれば、この憲法に対する国家の解釈として明らかにしなければならなかった。しかし、吉田はそれをしなかった。