【退職代行は“正義”なのか?】若者の働き方に飛び交う「やさしさ」、本当に自分のためとなる選択とは
デフレ不況は人間の価値まで「安く」する。「働き方改革」が叫ばれる今に比べて社会におけるコンプライアンスも総じて低い中、多くの若者の人生が粗末に使い棄てられた。 筆者自身は某大手の正社員になれたものの、氷河期時代の洗礼とも言える労働環境を経験した。職場では複数の上司から嘲笑的な口ぶりで「国立大卒のセンセイ様」などと呼ばれ(上司世代には大卒割合が極端に少なかった)、事あるごとに「国立大卒の癖に」「お前の代わりに正社員やりたい奴なんて幾らでもいる」と言いながら暴言暴力、ときにモノまで投げつけられた。彼らは筆者の前にいた(すでにいなくなった)新人達を次々と潰してきた「実績」で有名だったらしい。 彼らは暇な時間があれば「指導」「教育」を口実に、業務上の注意を逸脱した誹謗中傷と人格否定を毎回数時間にわたって執拗に繰り返してはメモを取らせていた。本来の正規労働時間に比肩する長時間のサービス残業、わずかな休日にも「勉強」「調査」と称した自主的な無給業務と報告を強要されるのが日常だった。ときに(助けてくれない)労働組合のための選挙活動にまで事実上の強制動員をされた。 季節の移ろいや盆暮れ正月クリスマスなどの節目も全て「日常」に塗り潰されたが、その時期になると「カニが食べたい」などと上司へのお祝いお歳暮お中元だけは強請られ、断ると更に当たりが強くなった。まだ暗い早朝から窓も無い職場に向かい、帰途に就くのは常に深夜。睡眠時間にさえ慢性的に事欠く、陽射し無き日々が延々と続いた。ある日、過労とインフルエンザで倒れた枕元にかかってきた上司からの電話を取ると、「今すぐ出社してこい」と怒鳴る「お見舞い」も待っていた。 単純な労働時間だけでも過労死ラインを常に超え続けていた筆者が突然死しなかったのは、単なる偶然でしかない。当然ながら、そうした環境では正常な判断をするための気力体力も奪われ、職場以外の人間関係も希薄にされていた。 そのようなケースにおいては、転職活動どころか誰かに助けを求めることさえ極めて困難である可能性も十分に考えられる。「転職代行」には救急救命的な点において、強い社会的意義があるとも考えられる。 しかしその一方、5月2日の日刊SPA!では、飲食業の人事担当のこんな声も紹介されていた。 「最近の若者はとにかく打たれ弱いと聞いていました。だから勤務時間や職場環境には気をつけていましたし、理不尽に叱ったこともなく、同期とも仲良く働いていたのに、入社3か月目でいきなり退職代行から連絡があって。理由は一切教えてもらえず。結局泣き寝入りです……」(『「いきなり退職代行から連絡が…」「注意すると泣く」20代社員はなぜ“打たれ弱い”のか』)