4階級上の体重だったネリの暴挙に汚された元名王者山中慎介のラストマッチ
帝拳は実績のあるアマエリートには特別待遇を与えるが、山中はスカウトされたわけでもなく一般のプロ志望者として入門した。名門、南京都高校出身だが、専修大時代は、2部リーグ。異色の存在だった。 「デビュー戦で買ってくれたチケットは20枚だった」。食えない時代は、アパートの電気代が払えず、電気を止められたことまであった。だが、山中には、南京都高校時代に、故・武元前川先生に、サウスポースタイルに変えられ、中学時代の野球部で鍛えた強靭な足腰から生み出す“神の左”があった。 「素質はなかったが、努力をしてきた。そして山中の素晴らしさは人間性だ。普通、チャンピオンになって防衛を重ねると飽きられてくるものだが、山中は逆だった。試合をする度に、後援会も人も増えてきた。人格が人を呼ぶんだ」 本田明彦会長は、そう言って具志堅用高氏の記録に迫る12度の防衛を果たし、ボクシング史に名を残したチャンピオンを称えた。この日、故郷の滋賀から来た応援団は、2000人を超えていた。 実は、前日、山中が2010年に初タイトルとなる日本バンタム級王座を奪ったときの対戦相手だった安田幹男氏が大阪に焼き鳥屋をオープンした。山中は、そこにお祝いの花を贈っていた。山中が愛される理由がよくわかった。 会見の最後、スポーツ紙の記者が質問をした。 あなたにとって神と呼ばれた左は何だったのか、と。 「最後まで一番頼りにしていた、一番の武器だった。不発に終わったが、何年経っても“パパの左は強かったんだ”と、子供達に言えるパンチだった」 なんだか、泣けてきた。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)