「遊廓や売春を肯定するのか!」の声に女性研究者はどう答えるのか
性に関する議論の難しさ
性に関する議論は、真面目にやろうとしてもさまざまな困難に直面しやすい。 「いやらしい」と生理的な反発を買うこともある。本来の主旨からはずれて「いやらしい話をしたいのかな」と誤解をされることもある。キワモノ扱いされるのも珍しくない。 さらには「あなたの立場はどうなのだ」と政治的なスタンスを問われ、うかつに答えると糾弾されるリスクもある。 日本史の研究者、高木まどか氏(東京都公文書館専門員)もこうした問題に常に向き合っている一人だ。高木氏の研究テーマの一つは、江戸時代の吉原遊廓。当然、文献資料の研究がメインとなるのだが、テーマならではの苦労があるようだ。 「あなたはこういう制度を許容、肯定するのか」 ある種の人達は、現在の価値観で過去を裁こうとする。そして時に研究者に対しても何らかの潔癖性を求めるのだ。これは対象が「戦前の日本」の場合でも見られることだろう。 こうした問いに研究者はどう向き合い、どう答えるか。 新著『吉原遊廓 遊女と客の人間模様』から、高木氏が心情を率直に吐露した文章があるので引用してみよう。(以下は同書より抜粋) ***
「遊廓の客を批判せよ」という声
「江戸時代の遊廓を勉強しています」というと、「それでは、あなたは当時の遊廓についてどう考えているのか」と問われることが少なくありません。非常に答えにくい質問ですが、端的にいってしまえば、私はもう遊廓のようなものは二度とこの世に誕生しないで欲しいと願っています。親兄弟の借金で身を売られ、外出もままならず、人生のほとんどを拘束される場所なんて、あるべきではないに決まっています。 そういうと、「それならどうして遊廓に通っていた客を批判的に書かないのか」と聞かれることがあります。私は客の存在に注目して研究を進めてきましたが、客の批判はしてこなかったので、もっともなご指摘です。 ただ、わたしは、過去の歴史に現在の道徳や尺度をあてはめて批判することに大きな意味を見出せないのです。当時においては買春が今よりもずっと「普通」の選択肢のひとつだったのだから、批判したってしかたがない、と思っています。 なぜ買春をすることが「普通」の選択肢になり得たかについては、固有の背景があったことに充分に注意する必要があります。 令和2年(2020)の日本の国勢調査では、50歳時未婚割合が男性は28%であり、昭和45年(1970)の1.7%から驚くほど増えていることが指摘されています。しかしそうした上昇傾向にある現在の未婚率よりも、江戸時代の未婚率はもっと高く、50%程度だったんじゃないかという説もあります。そもそも江戸時代において家業を継げない次男以下は結婚が難しく、そうでなくとも、貧困層など、身分や職業によっては結婚という選択肢がとれなかった男性は決して珍しくありませんでした。 結婚できなくても自由に恋愛すれば、買春する必要なんてなかったんじゃないか──そうお思いかもしれませんが、江戸時代は、法的には「婚外性交」はすべて「密通」とされ、禁止されていました。当然、未婚同士であっても「婚外性交」になりますから、自由な男女交際は許されていなかったわけです。たとえば、未婚の女性と「婚外性交」をおこなった場合、男性は「手鎖」の罰を科せられました。 実際には「婚外性交」も多々おこなわれていましたが、制度上のことにしろ「未婚同士もダメって、なんじゃそりゃ」と思われる方もいるでしょう。しかし、「婚外性交」に厳しかったのは、日本に限った話ではありません。世界的にそうした法令が敷かれていた国は多く、なんとアメリカでは200年以上前に制定した「未婚者の性交渉は違法」という州法がいくつかの州で残っていて、バージニア州ではようやく2020年に廃止されたと聞きます。インドネシアでは2022年に「婚外性交」を一切禁止する刑法改正案が可決されています。決して過去の話ではありません。 例に漏れず日本でもそうした法令が敷かれていたわけですが、江戸時代においては抜け道がありました。その一つが、買売春です。相手が未婚であっても遊女であれば、「婚外性交」としてお咎(とが)めを受けることはなかったのです。未婚者の多かった当時の状況を考えれば、男性にとって買春が異性との接触の選択肢の一つになったのは無理からぬことでしょう。 昭和31年に公布された売春防止法以後、日本において売春は一切禁止となり、遊廓も一切廃止されました。自由恋愛が主流になって久しいですが、いまだに「再び売春を認可するべきだ」という主張がないわけではありません。 現代においてもオランダのように売春を認可している国はありますので、議論をすること自体は意味があるだろうと思います。ただ、そうした議論のなかで稀に目にする、「日本では昔から遊廓が存在したんだから、歴史的にも売春の認可は妥当」といった主張はいただけません。これまでお話ししてきたとおり、江戸時代と現代の男女のあり方は、まるで違います。当時の男性にとって買春が選択肢の一つであったことは、現代において買売春を認可する根拠には決してなり得ません。 そうした違いを理解しつつ、かといって遊廓を完全に過去のものとして追いやるのでなく、今に地続きのものとして、遊廓を考えてみてほしい。少々欲張りが過ぎるかもしれませんが、それが、本書をとおして私が伝えたいことの一つです。