『宇宙からの脱出』精緻な考証に基づいた傑作SFサスペンス(後編)
感情描写とエンディング
前述のように、スタージェス監督の演出は非常に抑制的だ。例えば、夫の死を知ったセリアなど、「人前では気丈に振る舞うものの、1人になると泣き崩れる」といった感情描写も可能だったはずだ。だが、あくまでも引きのサイズで撮り、表情のアップすら見せない。 またラストシーンにしても、とりあえず歓喜に沸くミッションコントロールは描かれるものの、割とアッサリした描写だ。例えばマイケル・ベイ監督だったら、絶叫するアナウンサー、同時中継映像に熱狂する世界中の人々、夕日をバックにスローモーションで歩いて来る飛行士たちなどといった映像を撮り、大袈裟なほど感動的な音楽で盛り上げる…という演出をするのではないか。しかし本作は、一切余韻に浸ることなく、いきなりエンドマークが出て終わってしまう。またこの時代だから、長々としたエンドクレジットもない。
驚くべき本作の先見性
前編でも述べたように、本作の原作であるケイディンのSF小説「Marooned」が出版されたのは、1964年5月だった。だが、それから1年10カ月後の1966年3月には、ニール・アームストロング(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0)らが搭乗した「ジェミニ8号」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B8%E5%8F%B7)と、無人のアジェナ標的衛星との軌道上ドッキングが試みられた。だが、ジェミニの姿勢制御システムが故障し、機体が回転運動を始めてしまう事故が起きている。この時も、故障の明確な原因は特定できず、静電気の放電による回路のショートだったのではと結論付けられている(この出来事は、映画『ファースト・マン』(18)でも描かれている)。 同じく前編でも述べたように、脚本化に当たってプロデューサーのマイク・J・フランコヴィッチが、3名の飛行士をサターンV型ロケット第三段のS-IVBタンクを利用した宇宙ステーションに長期滞在させる内容に変更した。そして、命綱なしで船外活動が可能なMMUを用い、宇宙ステーションの周囲を飛び回る。これも実際に、S-IVBタンクを利用した宇宙ステーション「スカイラブ」計画が、1973年から1979年まで実施されているし、MMUもスペースシャトル・ミッションで実現した。 原作ならびに映画のクライマックスでは、冷戦下ながらソ連とアメリカの宇宙飛行士が軌道上で助け合うといった描写が見られる。これも1975年に実施された「アポロ・ソユーズ・テスト計画」(*6)(https://www.nasa.gov/apollo-soyuz-test-project/)で、ある程度実現した。このプロジェクトは、政治的な緊張緩和(デタント)を主目的としていたが、技術的なハードルは高かった。例えば、劇中で宇宙服の規格が異なることにより、酸素の供給が出来ない描写が見られるが、エアそのものもソ連側は海面気圧の窒素と酸素の混合気体を用いていたのに対し、米国側は約1/3気圧の純酸素を使用していた。 そして何より衝撃的だったのが、「アポロ13号」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD13%E5%8F%B7)の事故である。アポロ機械船の酸素タンクが爆発し、深刻な電力不足、さらには二酸化炭素濃度の上昇といった問題が次々と発生し、地球への帰還は困難を極めた。この出来事は、映画『アポロ13』(95)などで映像化されており、ご覧になった方も多いだろう。しかし驚かされるのが、現実の出来事を描いたこの『アポロ13』と、フィクションである本作のそっくり加減である。地上に残された妻たちの反応、報道陣の対応、主席管制官を演じるエド・ハリスとキース役のグレゴリー・ペック、地上でシミュレーションに取り組むゲイリー・シニーズとドゥハティ役のデイヴィッド・ジャンセンなど、類似する点は非常に多い。また、まったくの偶然なのだが、『宇宙からの脱出』の日本における公開日は、1970年4月11日だった。アポロ13号が打ち上げられたのと同日である。 (*6)この成果は、1994~98年に実施された「シャトル・ミール計画」や、現在も続く国際宇宙ステーション(ISS)の下地にもなっている。