遺産で数億円入るも「周囲に隠す」「仕事はやめない」…お金持ちにしかわからない悩みに衝撃
平然と数億円って… アラフィフでお子さんが2人いるというトピ主。彼女は最近、宝くじを当てた……のではなく、お父様の死で数億円を受け継ぎ、お金持ちになったのだと語ります。なんだ、元から裕福なご家庭じゃん!と思ったのですが、ご本人はこれまでも普通に就労されており、今後も仕事をやめる予定はないのだそう。 「暇になるから仕事を辞める気はありません。投資も興味がなく、ニーサや株も面倒でやる気がしません」 すごい、人間、数億円を得ても、ここまで舞い上がらないことがあるんだ。もはや核スイッチの管理を任せたいほどの自制心です。 ここまで平然と暮らせる人のところにこそ、お金が舞い込むのかなあと思いきや、バブルスさんの悩みが明かされます。 「お金を得てから何のやる気も起きなくて、無感情になりました。なぜですかね。中身がお金持ちじゃないんですよね。こんなこと、誰にも言えずこちらで呟かせていただきました」 なるほど―――! お金持ちにしかわからない悩みだ、と目から鱗が落ちました。たしかに、「自分の努力で得たのではない数億円」と「自分の努力で得た数百万円」だと、実は後者を持っている人のほうが幸福度やモチベーションが高いのかもしれません。前者は二重の意味で自慢しづらいもんなあ……。 もちろん、お金はないよりあるに越したことはありません。投資に興味がないというトピ主に対しては、死ぬまでお金持ちでいられるかはわからないからしっかり金銭リテラシーを身につけたほうがいいという冷静な意見や、介護に明け暮れているらしい方からの「高級民間ホームは数億なんて吹き飛びます(笑)」という身に沁みるコメントもぶらさがっていました。 私もです……という打ち明けコメントもいくつか付く中で、「物騒だから隠し通したほうがいいですよ」という注意喚起も。
物騒な世の中、自分でできることは?
いやー、そうですよね、証券会社の社員が顧客の家に強盗に入り、貸金庫を守るはずの銀行員がスペアキーを使って中身を窃盗する修羅の時代。匿名のインターネットとはいえ、どこで誰が正体を突き止めるかわかったものではありません。うーん、やっぱり自分が働いた分だけのお金を持っており、それに見合った支出ができている生活が、いちばん幸せなのかもしれませんね。 そういえば年の瀬といえば、古典『クリスマス・キャロル』の季節でもありました。無感動で利己的なスクルージにならないように、寄付やプレゼントに資産を回す、というのもアリなのかなと思いました。自分の努力と結びついていないお金だからこそ、社会とつながる使い方をすることで新しい形で自己効力感を持つことができる、というのはありそうです。厳しい環境に置かれている子供たちに絵本を届ける「ブックサンタ」みたいな事業をやるのも、おもしろそう。私だったら何やろうかなあ……保護猫ボランティアさんや動物病院にめちゃくちゃ寄付したいなあ……。 自分の手元には存在しない数億円の使い道を夢想しつつ、駆け抜ける師走なのでした。(文筆家・ひらりさ)