「めんどくささ」を歌い続ける バンド・FINLANDS 「スピッツがルーツ」曲作りの思いに迫る
■“違和感”と“じぶんごと”を起点にしたFINLANDSの楽曲づくり
言葉を仕事にするアナウンサーとして、非常に気になったのが唯一無二な世界観が印象的な歌詞。そこでどのような思いで歌詞を作っているのか、その真意を聞きました。さらに、現在2歳の子供を育てる“ママさんシンガー”の一面を持つ塩入さんに、子供が生まれたことによる音楽制作の変化についても聞きました。 ――FINLANDSの楽曲のリリックは、誰もまねできない言葉の紡ぎ方だと思います。 人を励ましたり、応援したりしないようにしているんです。無責任になるかもしれないので。だから自分のことばかり歌いますし、他人を持ち上げようとしないことは意識しています。それから、BGMになるような音楽じゃなくて、「これどういうこと?」って違和感を持てるような音楽に私はときめきます。違和感、っていうのは、すごく意識していますね。 ――お子さんも育てながらの音楽活動になりますが、なにか変化はありますか? 子供が生まれて2年になりますが、生まれたからといって、世界平和を歌えるようになるものでもなくて、徐々にこれから変化を感じていくことになるのかなと思います。悲しいニュースを目にした時、親目線で受け取るようになりました。そんなに傷ついている子どもを見た時に自分は親として耐えられないとか。そういう立場の入れ替わり・視点の変化にすごく驚く時があります。
■塩入冬湖ロックの出会いは「スピッツ」
唯一無二の歌詞や、独特でシャープな高音域の声を持つ塩入さん。そんな塩入さんの“ロックの原点”について聞くと、スピッツや、フジファブリックのボーカル・ギターとして活躍し、2009年に亡くなった志村正彦さんに影響を受けたといいます。 ――初めてギターを触った瞬間、ロックに触れた瞬間は覚えていますか? 14歳の時、親友がいて。その子とその子のお母さんが好きだったスピッツのライブを見たのが最初です。もう骨が痛いくらいの爆音がすごく傷ついてしまうほど衝撃的で、人の波に押されて心臓がバクバクする感じにびっくりして感動して。そこで「バンドを始めたい」って思ったんです。それで誕生日にアコギの入門セットを買ってもらいスピッツの『稲穂』を親友と一緒に弾きました。ライブではアルバム『三日月ロック』の曲をやっていた時だったので、それもとても覚えています。 ――『三日月ロック』! 私も大好きでした。同じく中学でエレキギターの入門セットを買ってもらって、文化祭で『水色の街』を弾きました! あのアルバム、めっちゃ良いですよね! 今でも体調悪くなったりしたら絶対聴きます。 ――スピッツがルーツの一つなんですね? 今でも自分の中に染みついているのはスピッツです。あとはフジファブリックの志村正彦さんです。あの二人は、いい意味であまのじゃくな言葉を使われる天才だと思っています。「好き」という時に「嫌いじゃない」と言ってしまう感じ(笑)。 ――高音域の声になったきっかけはありますか? 25歳の時に突然、声帯炎になって声が出なくなったんです。でもレコーディングやライブの予定をキャンセルできずに全部遂行したんです。そうしたら“ガラガラの声”のまま固定されちゃって、あのひずんだような声が出るようになって。偶然の産物なんです。そこからは経年変化といいますか、自分の愛着ある声になっていくんですよね。高い声を張り上げた時に出る“ちょっと汚い部分”とかが私はすごく、今は気に入っています。