長谷川白紙が語る「身体と声」をめぐる実験、THE FIRST TAKE、ソニックマニアと未来の話
「低音」に対する向き合い方の変化
―今回マスタリングエンジニアに、ランディ・メリルをはじめとして複数人のクレジットが並んでいます。これらの人選は、どのような狙いがあったのでしょうか。 長谷川:それぞれシングルカットをした際に、その曲に合うと思い依頼したマスタリングエンジニアがそのままアルバムでもクレジットに載っています。とは言え、シングルによってマスタリングエンジニアを変えるというのは、恐らくそこまで一般的なことではないですよね。ディスコグラフィの品質を均一化する必要があるという考えの方が多数派だと思うので。ただ、私の感覚としては、12曲入りのアルバムで12人のエンジニアがいても驚かない。それは私が、音楽産業にあまり明るくないからだという気もしますけど。 ―ILLICIT TSUBOIさんのミックスや「口の花火」のサム・ウィルクスのベース演奏などは、低音に対する補強にも繋がっているように感じて印象的でした。以前から長谷川さんは低音について特別な想いを抱いている旨を発言されてきましたが、今作においてはいかがでしょうか。 長谷川:まずサム・ウィルクスにベースを依頼したのは、この楽曲におけるベースというものの役割を捉えた時にサムが最も適任だったからで、低音の補強という意図ではなかったように思いますね。あとTSUBOIさんは、むしろ私の暴れまわる低音を今回は抑えていただいたような印象です。いや、TSUBOIさんがこれを読んだら「めっちゃ足してるよ」って言うかもしれないですけど(笑)。 ―へぇ、そうなんですか! 長谷川:言及していただいた通り、私は低音というものが苦手だった時期がありました。というか、権威的な象徴として怒りすら覚えていたこともあった。でも、最近自分にとってうまい低音の作り方やキックという音の面白さに気づいて、かなりハマってしまったんです。『魔法学校』を聴き直すと、低音にハマってしまったことで、訳も分からずとんでもないロウを出している部分が多い。反動的なところがかなりあったと思います。プラレールを買い与えられて日夜それで遊ぶ子どものように、今回私はずっと低音で遊んでいましたね。 ―今回TSUBOIさんとは、実際に低音というものに対して話し合うこともあったんですか? 長谷川:話をしたというのはそこまでなかったんですが、じっさいにTSUBOIさんの返答を受け取ったり、上がってくるミキシングの結果物を聴いたりする中で、私は低音を出しすぎなんだなということに気づくことが多くありました。というか、埋めすぎと言った方が正確かもしれないですね。 ―何があって、そこまで低音への思いというのが変化していったんでしょう。 長谷川:それこそソフィーは、キックのデザインがめちゃくちゃ独特ですよね。そういったところは影響を受けていると思います。 ―そういった変化を経て、長谷川さんの中では今でも低音に対して権威性を感じるといった思想は変わらないでしょうか。 長谷川:(2023年の本誌インタビューで)過去に私が言っていた「低音の権威性」ということについて、二、三の修正が必要かもしれません。私は、低音域のリズムパターンがそのジャンルの特長を決定すると言及していた記憶があるんですが、それはやや早とちりに近い解釈だったと思っています。じっさいには、その音楽が聴かれる環境で、各音域帯がどの程度分離して聴こえるかということがものすごく重要なことだったと今は分かった。つまり、低音域だけに着目して、そこにジャンルの特徴量が多く含まれていると論じるのは間違いだったなと思います。さらに加えるなら、私の耳のチューニングの話も必要です。私は音を、分化して聴くことが物凄く苦手なんです。あるドラムパターンを聴いた時に、キック/スネア/キック/スネアというふうではなく、低い音と高い音の連続したうねりのように聴こえるというのが特性なんです。低音部のトランジェントをあまり認識できない。過去の私は、そこを無視したままに語ってしまっていたんですよ。自分の耳の特徴をあまり仔細に捉えないまま、低音の権威性という、さも論じやすそうなところに向かってしまった。だから、いま読むと恥ずかしい(笑)。示唆はあるとは思うんですけどね。 ―なるほど、ご自身の聴取スタイルの特性をより客観的に見極められるようになったということですね。 長谷川:そうです。今では、そういった以前の発言についても「言ってるな~」くらいに思って自己批判しています(笑)。