「60歳までは生きられない」全身火傷の男性が生還後に目の当たりにした“現実” 一度は死を考えた彼が人生を謳歌できるようになるまで
■事故後の内面の変化 苦手だった勉強に挑戦し、念願の大学生に
火傷の前後では私自身の性格も全く違ったものとなっています。600人分もの数え切らないほどの多くの方の献血で命を助けていただき、元の自分にあった血液は全て入れ替わりました。 それで性格が変わったのかは立証のしようがありませんが、優しくしてもらったり、命を助けてくださった方が目の前の人かも知れないと思うと、人に優しく接することができる人でありたいと思うようになりました。 特に障害を持ったり、年配であったり、社会的弱者と呼ばれている方へは何か自分にできることはないか? 役に立てることは何か? を考えるようになりました。これは自分が障害者になってから、優しい方にたくさん助けてもらったからこそ変化した心の持ちようだと思います。 植物状態となった時、「今夜亡くなる」と告げられてから、色々なことに挑戦してこなかった後悔がものすごく大きかったので、これからは挑戦と人への感謝を忘れずに生きようと決めました。その1つが勉強です。もともと勉強が苦手で高校を中退してしまったのですが、自分への挑戦として、誰もが聞いたことのある大学に入りたいと決意して、勉強をし直した結果、大検(現在の高卒認定試験)に合格。現在は、慶應義塾大学の通信で経済学部に入学し、現役の大学生になることができました。 事故から22年が経過しましたが、当時は「60歳までが生きられる限界だろう」と先生に言われました。残り18年の命だとすると無駄に過ごせる日など1日もありません。皮膚移植をした両足の装具は歩き過ぎると擦れて破けてしまい、出血し、歩けなくなってしまうこともありますが、ご飯もちゃんと食べられますし、体調は良いほうだと思います。出来る限り助けていただいた命を大切に長く生き抜いていこうと思っています。 怪我や病気になってはじめて健康は大切なのだと、バカな自分はいつも思い出させてもらっていますが、今生きていることに感謝を持って暮らしています。