「60歳までは生きられない」全身火傷の男性が生還後に目の当たりにした“現実” 一度は死を考えた彼が人生を謳歌できるようになるまで
■退院後の周囲からの心ない言葉に「何度も自殺をしようと思った」
そこからは血の滲む努力という言葉のごとく、血だらけになって歩く訓練をしました。総合リハビリテーションセンターの担当医からは「生涯車椅子の生活です」と言われてしまいましたが、命懸けで助けてくれた母や医療関係者の方にもう一度歩ける姿を見せたくて、リハビリの時間以外も諦めないで歩行訓練をしました。 これまで数えきれない程の多くのリハビリ患者を診て来られた義肢装具士の先生も「ここまで回復した人は1人しかいなかった」と仰っていました。 辛かったのは、寝たきりの時にできてしまった床ずれが、両足や頭に出来てしまったことです。この床ずれが歩くたびに、膿ができたり、出血したりして1番の回復の妨げになってしまっていました。とはいえ、諦めるわけにはいきません。本当にもう一度だけ母に歩けるところを見せてあげたかったのです。 先生からの「もうあなたはベッドの上の生活で立ち上がることは出来ませんよ」や「歩けるようにはなりません」などの言葉も悲しかったです。経験則や親切心から言ったのかもしれませんが、何気ないその一言でやる気を潰してしまうこともあります。それでなんとか自分の可能性を信じることで、苦しみを乗り越えることができました。寝たきりの状態から起き上がれるようになったり、握れなかった手が握れるようになったり。回復出来ることに幸せを感じて一つ一つ出来ることをやるだけの毎日でした。 退院後、周囲から足に付けている装具が目立ち指をさされたり、黒くケロイドになってしまった腕を見て「気持ち悪い」とか「汚い」などの言葉で心が折れることもありました。せっかく命を助けてもらえたのに、こんな言葉を毎日受ける人生では幸せになることなどあり得ないのだと、何度も自殺をしようと思いました。 そういったことを乗り越えられたのは、ずっと諦めないでいてくれた両親のおかげです。また、リハビリ通院時に階段を1人で一段ずつ登っている私の腕を支えて上まで一緒に上がってくれた女性の存在も大きかったです。最初は交代で来られた私服の看護師さんなのかと思っていましたが、実際には入院されているご家族か知人の面会に来られていた一般の方でした。「汚い」と言われ続けていた私の腕を持って階段を一緒に登って下さった名前も分からない優しい方のおかげで、まだ生きていて良いのかなと思えるようになれました。その出来事がなければ差別の言葉を耳にしたくないと家に引きこもってしまっていたと思います。