暗殺予告を受けていたのに避暑地に…ロブスター獲りの最中に爆殺された、とある伯爵家の歴史
海軍司令官として日本に勝利
野心に燃えるルイスもまた父と同じく海軍将校の道を歩んだ。又従兄(またいとこ)の皇太子(のちのエドワード8世)に随行し、インドと日本を訪れたこともある(1921~22年)。 その帰国直後に、ルイスはひとりの美しい女性と結婚する。エドウィナ・アシュリ。父方の先祖は19世紀のイギリスを代表する外相で首相だったパーマストン子爵。母方の祖父はドイツから移住したユダヤ系の大富豪アーネスト・カッスル。 エドウィナはこの祖父が残してくれた230万ポンドにも及ぶ巨額な遺産だけではなく、パーマストン子爵家から受け継いだアイルランドのクラッシーボーン城や、イングランド南部ハンプシャの屋敷ブロードランズも引き継いだ。やがてエドウィナから見て義理の甥にあたるフィリップとエリザベス(のちの女王)が1947年11月に新婚旅行でこのブロードランズに泊まることとなる。 ドイツからまともな財産も持たずに来たマウントバッテン家にとって、エドウィナとの結婚は一生困らないだけの財産も与えてくれる幸運だった。やがてルイスも海軍で出世し、第2次世界大戦(1939~45年)では東南アジア方面の最高司令官として日本に戦勝した。その功績で子爵に叙せられた後、1947年からは最後のインド総督となり、インドとパキスタンの分離独立を進めた。これにより同年には「ビルマのマウントバッテン伯爵(Earl Mountbatten of Burma)」へ陞爵(しょうしゃく)する。その年、甥のフィリップがエリザベス王女と結婚し、ルイスの野望はさらに拡がった。その後も海軍第一卿、統合幕僚本部長などを務め、1965年に海軍を引退した後も179の各種団体のパトロンを務め、王室にも影響をもった。
女性伯爵の誕生
妻のエドウィナも負けん気が強く、大戦中は赤十字活動や傷病兵への支援などで活躍し、インド総督夫人としても実力を発揮した。特にインド初代首相ジャワハルラール・ネルーとは「プラトニックな恋愛」で結ばれたともいわれている。しかし1960年、北ボルネオ滞在中に突然死去し、遺体は故人の遺志によりポーツマス沖で水葬にされた。 そして1979年8月27日という日を迎える。パーマストン子爵家からエドウィナが相続したアイルランド北西部のクラッシーボーン城は、マウントバッテン家が毎年訪れる避暑地だった。老伯爵はその数年前からアイルランド全島独立を掲げるテロ組織IRA(アイルランド共和軍)から暗殺予告を受けていたが、この年も避暑に出かけた。そして予告通りの結果となってしまったのである。 ボートに同乗した長女パトリシアと夫ブラボーン男爵、パトリシアの4男ティムは助かったが、老伯爵とブラボーンの母、ティムの双子の兄弟ニック、そして案内役の村の少年が亡くなった。パトリシアは海中で意識を失い、駆けつけた人に海から引き上げられて九死に一生を得たのである。 伯爵家にはパトリシアとパメラの2人の娘しかいなかったが、この当時にはすでに女性も爵位を継承できる制度がイギリスには整っていた。パトリシアがここに伯爵位を継承する。亡父が残した遺産はなんと220万ポンドに近かった。祖父のルイスなど6533ポンドしか残せなかったのに。エドウィナとの結婚は一族にとって大きな意味を持っていたのだ。