日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
ホームレスを支援する善良な人たちもいる
どんな国どんな社会にも、冷血非情な人もいれば、善良で思いやりのある人もいる。 上野、新宿などの公園や、教会の近くでは、ホームレスや生活困窮者向けに炊き出しを毎週行っているキリスト教系の慈善団体がある。長年活動していて、途切れることはない。活動の資金は寄付から賄われていると聞く。 決まった場所で炊き出しをするほか、毎月2回、人を派遣して、弁当をホームレス一人一人に直接届けている団体もあるという。荒川一帯のホームレスに弁当を届けているのは、あるボランティアの中年女性だ。彼女は長い年月、苦労をいとわず自転車に乗って、川沿いの砂利の小道を走り回ってきた。大学の先生や学生も、このような慈善活動に参加している。 ホームレスの桂さん(仮名)の話によると、埼玉県の蕨(わらび)市に住む40代の女性が、中学生の娘を連れて自家用車でやって来て、桂さんや斉藤さん(仮名)にさまざまな物を届けてくれた。食べ物のほか、布団や風邪薬などもあった。 彼女は帰るたびに、「何か必要なものがあれば教えてください。今度来るときに持ってきますから」と言ってくれたという。この思いやりのある女性は、ある大学病院で看護師をしていて、家では一人の老人の面倒を見ている。 斉藤さんにも、アルミ缶を拾っているときに出会った優しい管理人がいた。斉藤さんは朝5時から空き缶を集めに出かけることが多い。その管理人は、老人である斉藤さんが缶を売って生計を立てるのは大変だと思ったのか、そこに集められたアルミ缶を大きな袋に入れ、斉藤さんが来たら自転車に載せてくれたという。斉藤さんによると、このように力を貸してくれた管理人は一人や二人ではないらしい。 ホームレスを助けるこのような善良な人たちを賞賛すべきだ。この人たちがいるからこそ、日本社会には温かさと愛があると思う。
「娘さんたちと連絡を取っていますか?」と聞いた
桜の季節、ホームレスの写真を撮るために上野公園に行ってきた。そこにはホームレスが多いはずだし、ついでに花見もできるだろうと考えた。 その日はちょうど上野公園では桜が満開だったが、意外にも公園に着いてからしばらく歩いても、数人しかホームレスに会わなかった。彼らは比較的目立たない場所にいる。桜が満開になり、観光客が一杯になる日だから、人々の視線を避けたいのだろう。現代社会において、ホームレスは差別される部類に属している。 私はこの時、以前、桂さんと交わした会話を思い出していた。彼が私に、2人の娘の話をしたときのことだ。桂さんの娘たちは、2人とも結婚して子供を産んでおり、それぞれ自分の家庭を築いているという。 私は聞いた。 「娘さんたちと今も連絡を取っていますか?」 「過去には取っていたが、その後は途絶えて、もう10年も音信不通になっています」 「じゃあ彼女たちは、自分のお父さんの今の状況を知っているんですか?」 彼にそう聞くのは残酷なことだと知っていたが、敢えて聞いてみた。 「彼女たちが知っているかどうかは分かりませんが、少しは見当がついているだろうと思います」 そこまで言うと、桂さんは黙った。私も何も言えなかった。 桂さんの娘は、近所の人に自分の父親がホームレスであることを知られたくないに違いない。父親である桂さん自身も、自分の身分のために娘が他人に軽蔑されることを決して望んでいない。 だからこそ、彼らは互いに連絡を取り合うのを避け、それぞれの生活をただ静かに過ごしたいと望むのだ。このような親子関係はホームレスの中には少なくないと思う。これもホームレスの宿命の1つだろう。 また、別の機会に桂さんは、毎年高校の同窓会に参加しているのだと教えてくれた。連絡をくれる同級生がいるのだろう。それを聞いて、私はすぐに尋ねた。 「昔の同級生たちはあなたが今何をしているか知っていますか?」 こんなことを聞くのは本当に道理をわきまえないだろうし、この前、家族の話で桂さんに傷を付けたばかりだ。今度はその傷口に塩を振りかけることになった。根掘り葉掘り聞くのは悪いとは思ったが、ジャーナリストの癖として仕方がない。 「同級生にそんなことを言えるもんか」桂さんは私をにらんでそう答えた。 中国では、同窓会が開かれると、今の生活状況よりも昔の話が話題の中心になるのが普通だ。日本もきっと同じだろう。 みんな同じ校門から出て行ったが、その後の道は千差万別だ。数十年経って再会したとき、「功名成就」つまり輝かしい出世を果たした者もいれば、そうではなく、平々凡々で成すところがなかった人もいる。 そこで適切な今の話題といえば、財産の多さではなく、体調や運動や趣味になると思う。ある意味でこれは、桂さんの優位性を際立たせられる話題かもしれない。同級生の中で、財産から見れば彼が最も貧しいのだろうが、こと健康や自由については、彼にかなう人はなかなかいないだろう。 文・写真:趙海成