「吃音が悔しくて悔しくて」 小倉智昭さんが子供の時につけられた「ひどいあだ名」【前編】
コンプレックスをバネにして――というのはよく使われるフレーズだが、タレントの小倉智昭さん(76)の人生は、まさにそれを地で行くものだと言えそうだ。 小倉さんといえば、長年MCをつとめた「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ系)のオープニングトークを思い出す方もいらっしゃるだろう。その時々のテーマについて、自由に流暢に、ときおり毒もまじえながらフリートークを展開する。その様子からは、吃音に悩んだ子供時代があるなどとは信じがたい。 吃音で涙を流すほど悔しい思いをした小倉少年は、どのようにして乗り越えたのか。年の離れた友人である古市憲寿さん(39)を聞き手にして、人生や仕事論をたっぷりと語った著書『本音』をもとに見てみよう(以下、引用は同書より)。 【前後編記事の前編:後編は「『とくダネ!』名物のオープニングトークの裏に『吃音』あり 小倉智昭さんが明かした秘話」】 *** 幼少期、吃音が「悔しくて悔しくて」仕方がなかった小倉さんは、だからこそ「しゃべる商売に就きたいと思った」のだという。 立て板に水という調子のトークぶりからすれば、吃音を完全に克服したと誰もが思うところだ。しかし、実はそんなことはないのだという。 「いや、克服はしていないんです。今でも、女房と話したり、マネジャーと話したり、気を緩めて話したりするときは、もうすごいよ。録音を聞き直すと、ああ、こんなに俺どもるんだって思うくらい。番組でも、自分の想定しなかったことが突然起こった場合、必ず頭の言葉がつかえますね。出てこない。 そう見えないのは、普段はいろいろなことを想定して身構えているから。だから気楽に話しているようだけど、案外気楽に話してないんだよ。呼吸法とか発声を考えておかないと、やっぱりすぐ、どもってしまうんで」
秋田に生まれた小倉さんは、父親の仕事の関係で小学2年生の時に東京に引っ越す。これもまた悩みを深刻にしたようだ。 「転校したものの、口から出るのは100%秋田弁でしょ。ラジオしかない時代で、そのラジオは親父が浪曲を聞くためのものだと思っていた。だから標準語の放送って聞いたことがなかったんだ。 だから本当に標準語が全く分からない状態。 しかも引っ越してきた頃、小学生のときは、それこそア行が駄目だったのよ。でも自分は『秋田の小倉』でしょう。自己紹介からつまずくのよ。『秋田から来ました~』って言うことができない。 それでついたあだ名が『ドモキン』だったんだ。目がギョロギョロしていてデメキンみたいなうえにドモっていたから。うまいことつけるよね」 今だから笑いながら振り返れるが、少年の心は深く傷ついていた。 「これはよく話すエピソードなんだけど──七夕の短冊に願い事書くじゃないですか。小学校のときは、ずっと『どもりが治りますように』って書いていた。でも、それで治るはずがない。それで小学校5年生のときに、親父に、 『たなばたの短冊なんかうそだ。どもりなんか治らないもん』 って言ったら、親父がそのときに言ったんだよ。 『智昭、夢は持つな』 小学校5年の男の子に、ですよ。親父はこんな風に言っていました。 『夢は持つな。夢は夢で終わるんだ。夢はかなうというのは、夢がかなった人しか言わないことで、夢がかなわなかった人はそんなこと言わないんだ。夢なんか持たなくていい。目標を持ちなさい。目標だったら自分に合った目標を持てるだろ。その目標を達成したら、次の目標を考えればいいじゃないか』 これが小学校5年のときの親父の教え。いまだに、それは印象に残っているの」 子供に対しての教えにしてはかなりシビアなものなのだが、小倉さんは実際に自分なりの工夫で少しずつ、しゃべりを向上させていったようだ。 「もとはといえば、独り言はどもらないっていうのに気がつくんですね。相手がいるから必ずどもるんですよね。事前にやりとりを考えたり、何かを伝えようとしたりすることでどもるんですよ。ただ、一人で話すのは、自分で好きなペースで話せるじゃないですか。だから、どもらない。 それから学校で教科書は案外、読めるんですよ。結構うまく読む。 一番大きかったのは、歌はどもらないというのに気がついたこと。話すときとは呼吸法がどこか違うんじゃないかとか、メロディとかリズムがあるからどもらないのかとか。自分でいろいろ考えたものです。 小学校の途中で親父がまた転勤して、秋田に戻るんですが、そのときの担任の先生の存在が大きかったです。NHKの放送劇団にいたことがある先生で、僕が演劇のセリフを言ったりするとわりあい評価してくれて、地元のNHKの児童劇団に連れていってくれたんですよ。『やってみたいか』って訊かれて、『やってみたい』と。それで演劇をやらせてもらったのが一番大きなステップになりましたかね。 マイクの前で話すと、これは意外に話せるかも分からないという気持ちになれた。僕の場合はちゃんとした本番の番組には出ていませんが、演劇の稽古には参加していた。『少年探偵団』とか放送したものの焼き直しを稽古していたんですね。 セリフは多くなかったけど、やっていくうちに自分で、ああ、こういうことだったらできるのかなって気がつくようになった。それからは積極的になっていって、中学のときに弁論大会に出たりとか、生徒会に立候補して演説してみたりとか、そういうことができるようになる。 このあとまた中学校から東京になって、それ以降は東京です。 もともと性格は小さいときから、そんなに内向的じゃないんだよ。しゃべれないから引っ込み思案にはなるんだけど、内向的とは違って、できれば表に出てって騒ぎたい。自分の強いことでお山の大将になるのが嫌じゃなかった。マラソンなら負けないぞ、とか。 だけど、吃音があるのにしゃべりすぎるのも周りに迷惑だからね。本当に周りの人のペースを考えたら、そう思いますよ。 それにひどいのは、僕の子供の頃は、『どもりはうつるから』なんてことを平気で言う人も珍しくありませんでした。『どもりの真似したらどもりになっちゃうよ』という意味なんですが、実際に僕の周りの子はみんな言われたんじゃないかな。『智昭ちゃんの真似しちゃ駄目よ』とかって。でも、真似する子はいたけどね。 僕は人の真似したわけじゃなくて、気がついたら吃音だったんで何が原因なのか分からない」 後編では、この吃音がポジティブな効果をもたらし、あの「オープニングトーク」にも一役買ったという意外なエピソードを語っている。 小倉智昭(おぐら・ともあき)1947(昭和22)年秋田県生まれ。タレント。テレビ東京を経てフリーに。『どうーなってるの? !』『情報プレゼンター とくダネ!』などのMCとして活躍。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者、作家。『ヒノマル』『正義の味方が苦手です』『謎とき 世界の宗教・神話』など、著作多数。 協力:新潮社 Book Bang編集部 Book Bang編集部 新潮社
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