性的マイノリティーの安心と幸福のかたち 法的サポートで紡ぎ出したい
アカーが合宿のために使用申請をした東京都立『府中青年の家』から、「青少年の健全な育成にとって、正しいとはいえない影響を与える」という理由から利用を拒絶され、東京都教育委員会も団体に今後の使用を認めない決定をしたのだ。アカーは都施設の利用拒否を同性愛者に対する偏見にもとづく人権侵害と捉え、都を相手に裁判を起こした(その後97年にアカー側が勝訴することになる)。久しぶりにアカーに参加した永易さんの前には、昨年までオネエ言葉で恋愛談義をしていた友人達が、社会問題に真剣に取り組む頼もしい姿があった。 「裁判自体は大変なことでしたが、それを通して同じ方向を向いて歩んでいける仲間や友達ができました。僕自身も、なぜ裁判までするのかということを自問自答する中で、やっとゲイである自分に目をそらさずに向き合えるようになりましたね」
ゲイであることは恥じることではない
卒業を控えた永易さんは、ある決断を胸に秘めていた。大学時代にアカーを通じて様々な経験を得た彼にはすでに一つの自信が生まれていた。ゲイであることは恥じることではない。一生隠しながら生きていくことでもない。常々そう感じていた彼は就職を機に、故郷で暮らす母に長いカミングアウトの手紙をしたためたのだ。後日、手紙を見た母から電話がかかってきた。受話器の向こうで母は泣いていたが、ひとしきり感情の高ぶりが収まった頃には、ゲイであること、そしてそれは決して間違ったことではないという永易さんを静かに受け入れてくれたという。 その後、大学を卒業し出版社へと就職をした永易さんは、いつしか自分の手で性的少数者の暮らしや運動をテーマとする出版社を作りたいと思うようになっていた。小さな出版社で編集や営業、そして経理の仕組みをも覚えた彼は、8年後には念願の独立を果たすことになる。有限会社にじ書房の発足(2002年)である。自身で取材や編集をこなし、季刊誌『にじ』を発行した。『にじ』には、ゲイ同士の公営住宅への申し込みや同性カップルの公正証書の作成など、ゲイとして年齢を重ねていくことに焦点を当てた、同性愛者としての暮らしにかかわる様々な記事を掲載した。それはかつてドウセイアイという言葉との落差に怯えた平凡な若者が、老後を含めた人間としての等身大の輪郭を獲得していくために必要な情報群だった。 「結局雑誌は第8号で終わってしまうのですが、いまでも時々、この雑誌を全号大事に持ってくれている人に出会うことがあります。自分の生活を考えることの役に立った。引越しの時にもこの雑誌だけは捨てずに持ち歩いている。など、皆さんの役に立ってくれていると感じることが何より嬉しいですね」