想定外を愉しむ
目の前から相手が消える
私にとって、職場で自分が「泣く」ことは、起こり得ないことです。「そういうことはあってはいけない」と考えている節さえあります。だからこそ、自分が相手にそういう事態を引き起こしたことがショックでした。自分の想定するシナリオにはありえないストーリー展開です。どうしたらシナリオ通りに展開することができたのか。未来を描き、ワクワクする目標をみつけ、笑顔でセッションを終える。そういうエンディングを迎えるためには、自分にどんな能力が必要だったのかをずっと考え続けていました。 しかし、この「シナリオを軌道修正する」という発想には、自分がこのストーリーの脚本家であり、脚本家である自分こそが何とかできるという考え方が潜んでいます。私が何とかすれば理想的なストーリーに変えられると思っている。何とかする責任は私にある。だからこそ、私には何ができたのか、何をすべきだったのかという思考になっていました。 今回彼女が泣いてしまったことを「うまくいってない」と思ったのは、私の勝手な認識です。単に私の想定外の展開だっただけのこと。相手が本当は何を感じていて、何が涙を引き寄せて、何を話したかったのかを知ろうともせずに「この関わりは失敗だった」と私が勝手に決めつけたのです。 「泣かせた」のではなく、「泣いた」。 スーパーバイザーからの一言で、そんな視点があることに驚きました。たしかに、その視点で眺めると、さまざまな関わり方の選択肢が浮かんできます。 あの空間に二人でいた意味はあったのだろうか。話しているようで実はすれ違っていた1on1だったのかもしれません。相手の力になるどころか、私の目の前から相手は消え、出演者のいないストーリーになっていたことに気づきました。
物語の続きは...
私たちの日常には、もしかしたらこういうことがあふれているかもしれません。 相手から想定外の反応が返ってきたとき、自分とは違う意見が出てきたとき、自分の価値観にはない世界に触れたとき、なぜそうなのか?を知ろうとする前に、無意識に関わりの扉を閉じてしまうことはないでしょうか。 今回私は、「泣く」という現象は「誰かが泣かせる」から起こるという無意識の思い込みから、相手との関わりをあきらめ、早々にその場を放棄してしまいました。そうして、相手から見たらどんなストーリーだったのか、彼女にとって泣くことにはどんな意味があったのか。それを探索する機会を失いました。 その後、実際に彼女に聞くと、「緊張する場面になると泣きたくないのに涙が出てしまうんです。涙が出ているとそれがすぐ相手に伝わってしまうので、ずっと自分のコンプレックスだと思っています」と教えてくれました。それは私のシナリオにはないセリフでした。 このセリフの次には、どんな展開が待っているのでしょうか。予想もつかない「あなたの物語」。その先に何が起きるのか楽しみで仕方ありません。 物語の続きを一緒に見ようよ。 今はそんな風に思っています。